2025年3月28日(金)
人は心で信じる
With The Heart Man Believes
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)
心で信じるとはどういうことでしょうか?使徒パウロが言っているのは、肉体的心臓のことではありません。パウロが言っているのは、あなたの霊のことです。心とは、あなたの霊、つまりあなたの内なる存在のことです。
あなたは心で信じるのであって、思考や頭で信じるのではないのです。だからこそ、頭で理屈をこねくり回して神を見つけようとする多くの人は、神を見つけることができないのです。神はあなたの感覚に訴えるのではなく、あなたの霊にとって実在するのです。思考には霊的な事柄を理解する能力はありません。これらのことを理解するのは人の霊なのです。
人の霊が神に対して死んでいるなら、神の事柄はその人にとって愚かなものに思えることでしょう。主イエスがヨハネの福音書3章3節で「人は、新しく生まれなければ、神の王国を見ることはできません。 」と言われたのも不思議ではありません。それは、神の王国の実在を見ることも、神を知ることもできないということです。しかし、新しく生まれ変わると違います。あなたの脳があることを理解できないことでも、あなたの霊でそれを信じることができるのです。
イエス・キリストの乙女からの誕生について考えてみましょう。乙女であるマリアが赤ん坊を産んだのです。それを説明できる科学はありません。イエスが死んで、3日間葬られ、死からよみがえったのはどうでしょうか?人間の自然な思考では説明できないのです。しかし、私たちはそれを信じるのです。人は心で信じるのであって、頭で信じるのではないのです。
人の霊には、説明できないこと、理解できないことであっても信じる能力があります。ある人々がクリスチャンは洗脳されていると言われるのはそのためなのです。しかし、それは違います!洗脳されたのではなく、「洗心」されたのです。神は私たちに新しい心、つまり信じる心を与えてくださったのです。目に「見えるものしか信じない!」と言う人がいますが、それは意味が通りません。すでに見えているものをなぜ信じる必要があるのでしょうか?
「信仰は望んでいる事がらを保障し(実体)、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)信仰は心から生じるものであり、感覚のものではないのです。信じるとき、あなたの霊は、あなたの頭では把握できない神の真理を手にするのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、私の霊から働く信仰の賜物を感謝します。私はあなたの御言葉を心から信じ、受け入れ、あらゆる神聖な真理をつかみ、それは私の人生を変えます。私の霊は父なる神に生かされております。私は今日、御父の栄光と義の中を歩んでいきます。アーメン。
参照聖書
(マルコ 11:22-24)イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
(ヘブル 11:1-3)信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
(2 コリント 4:13)「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。