2022年2月10日(木)
人の心の中にある神の御国
His Kingdom In Men’s Hearts

「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」(マタイ6:10)

マタイ6章9-13節で、イエスは弟子たちに与えた祈りの形式において、彼らはその祈りを状況にあわせて理解していたのです。したがって、彼らが書いた内容を、イエスが祈りについて教えられたことに照らしあわせみると、私たちが何を言うべきかは明らかです。

例えば、イエスが「御国が来ますように」と言われたとき、イスラエルに対する成就は、キリストの千年王国時代なのです。霊的な御国は、キリストの中にいる私たちに訪れ、私たちは、まだ御国を心に受けていない人たちに、この御国が広がるように祈るのです。主はさまざまな国で御国が広がっていくことを望んでおられるのです。

それから主は、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と言われたのです。これは神の御心が、人間の世界でなされるようにという御霊の呼びかけなのです。なぜなら、神の御心はいつも行われるわけではないからです。しかし神は、あらゆる場所にいる人々へ神の御心を伝えるために、神のメッセージをもって私たちを遣わされたのです。私たちが彼らのところに行くとき、彼らに御国が臨むことを私たちは知っています。そして、彼らのために祈るとき、私たちは父の御心を祈っているのです。彼らの心が開いて御国を受け取れるようにと祈っているのです。聖書には「神は人の心を開かれる」と書かれています。

例えば、聖書はリディアという女についてこう書かれています。「主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」(使徒16:14)。もし主がその女の心を開かれるなら、主は誰の心でも開かれるでしょう。そして、神が人の心を開かれるとき、その心に御国がもたらされるのです。ハレルヤ!

私たちの祈りによって、神の霊は、人の心を動かすことができます。聖書には「後の雨のときに、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる」(ゼカリヤ10:1)とあります。聖霊が注がれ、野の草の一本一本に聖霊が触れられたのです。

私たちの役割は、祈ることであり、救い、解放、自由の言葉を語り、そして人々を御国に導き、父、子、聖霊と一体となるようにすることなのです。そして、私たちが祈るとき、父はいつも聞いて答えてくださり、それは聖霊の力によってなされるのです。神に栄光をお返しします!

お祈り
私は世界中の神の民と信仰で結ばれ、人の心に救い、解放、自由を語り、彼らを御国に導き、父と子と聖霊との結びつきをもたらします。今日、彼らの心は福音を受け取り、御国に生まれるために開かれています、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ルカ17:20-21)さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

(箴言 21:1)王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。

(伝道の書3:11)神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。