2024年8月13日(火)
人の子として主の主張
The Master’s Claim As Son Of Man
「そこで、群集はイエスに答えた。「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は上げられなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれですか。」」(ヨハネ12:34)
主イエスは、様々な場面でご自身のことを「人の子」と言い、ユダヤ人はその言葉の奥深さを理解していました。彼らは、主イエスがキリストであると主張していることを知っていました。
たとえば、マタイの福音書8章20節で、主イエスはこう言われました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」また、マルコ14章62節では、「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」と言われました。ルカの福音書9章26節には、「もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。」とあります。
しかし、イエスが自らを「人の子(the Son of Man)」と呼んだこれらの様々な例において、それはイエスの人間性を示す一般的な言葉ではなかったことを理解することが極めて重要です。イエスはご自分を「人の子の一人(a son of man)」として描写したのではなく、「人の子」として言及していたのです。それは、ダニエル7章13節から14節のダニエルの預言で「私がまだ、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、…」というところからのものです。
「人の子」が天の雲とともに来るというダニエルの幻は、マタイ26章59-66節に登場する祭司長たちの前で、裁判を受けたイエスの宣言と密接に結びついています。大祭司はイエスに、お前は神の子、メシアなのかと尋ねました。イエスは次のように答えられました。「イエスは彼に言われた。『あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。』」(マタイ26:64 NIV)
大祭司は即座にイエスを「神を冒涜した」の罪で告発し、自分の服を引き裂き、イエスは死に値すると宣言しました。全議会はこれに同意し、イエスは死刑に処せられるべきだと断言したのです。イエスはご自分を「人の子」と呼ぶことによって、キリストであるご自身のアイデンティティを実際に主張されたのです。
主が言われた内容の重大な意味を認識していた、ユダヤ人会衆にとってこの宣言は明らかだったのです。「人の子」は、キリストの称号でした。イエスは人間の肉体を持つ神であり、大いなる神であり、私たちのためにご自身をお与えになった救い主です。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を、ご自分のために清められるためでした。(テトス2:13-14)
祈り
愛する主イエスよ、人間の肉体を持つ神として私たちにご自身を現してくださったことを感謝します。主イエスがキリストであり、神の体現者であり、私の主なる神であり、私の存在の理由であることを認め、告白します。主の永遠の愛、恵み、優しい憐れみに感謝します。イエスの御名によって祈ります。ハレルヤ!
参照聖書
(マタイ16:13-16)さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
(マルコ8:38)このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。
(ルカ5:24)人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。