Have A Strong Desire For Him
“もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。―主の御告げー…”(エレミヤ書29章13−14節)
マタイの福音書7章7節で、イエスは言われました。「求めなさい。そうすれば与えられます。」神の子どもとして、あなたは主への強い熱望が必要です。これが今日の聖書箇所から主が言われる事です。主は、「わたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう」と言われています。神を捜すのは、神が恋しくて、あなたがどこかで神を捜すといういみではありません。これは、神とその臨在に対する切ない求め、すなわち神との交わりへの強い熱望について述べているのです。
これが、キリスト者であるあなたの人生で、明らかにされるべきです。主と、主の御言葉に対する強い熱望と主の影響が、あなたの人生において明らかに表わすことです。その熱望を持つことで、あなたは周りの人たちへ簡単に影響を与えることができます。ですから、その熱望を養いましょう。熱望は自然に来るものではありません。神の役は、その熱望を持つ事に、あなたの心に刺激を与えることなのです。しかし、主への熱意、愛、情熱を沸点して保つことは、あなたの責任です。主は、あなたを愛し、あなたと交わりを望まれるため、あなたの関心をいつも主ご自身に向けようとします。
今でも主は、より素晴らしく、より高い歩みをする為に、あなたの関心を集まります。これが、主の望まれることで、主は、あなたも同じものを望んでいることを知っておられます。ですから、あなたがすべき全てのことは、主に「はい」と答え、そしてそれに従って行動することです。その強い熱望が、あなたをとりなし祈り者とされるのです。
「問題は、私にとって祈るにはとても怠けであるということです。」というキリスト者達がいます。これは、祈ることで強さとか、怠けであるとかは、何の関係ありません。これは重荷の問題です。もし、あなたに苦しい問題があったとすれば、明らかにあなたはその事について祈りたいでしょう。あなたが何かが本当に欲しいと、又、あなたの心から、神だけが状況を正すことができるということを知ったときに、あなたは神を探し、強い願望を生み出すことになるでしょう。
しかし、困難になるまで、待つ必要はありません。主への強い熱望で霊感を受けたダビデの様になりましょう。「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。(詩編63:1)」
祈り
オー主よ、鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私の魂は主を慕いあえぎます。あなたは、私の人生、私の喜び、そして私の満足です。主にあって、私は完璧です!私の心を満たす主の栄光と、私の魂を圧倒する主の愛を感謝します!私は今日もいつまでも主の為に生き、主の御心を行い、主に栄光をかえします。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。
参考 聖書
エペソ6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
コロサイ4:2 目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。
詩編63:8 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。