9月8日(木)
主は御言葉で私たちを導いてくださる
He Guides Us Through The Word

「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」 (使徒20:32)

ある人は、神からの夢や啓示を受けられたと信じていたため、信仰が破滅してしまったことがあります。新しい契約の時代では、神は夢を通して私たちを導かれるのではなく、御言葉と聖霊によって私たちを導かれるのです。私たちはいつも私たちの霊と御言葉を通して私たちを導いてくださる聖霊に頼ることができます。

では、あなたはすぐこのように聞くかもしれません。「しかし、使徒2章17節が言っている内容はどう考えますか。神は今でも夢を通して導いてくださるのではないですか。」いいえ、そうではありません。夢は、人間の感覚的な知識を受け取っていた世代のためのものでした。聖霊が来られた以後、新約聖書では使徒も誰も夢の中で働きをすることはないのです。それでも聖霊は、ビジョンや預言、内なる証し、その他の御霊の賜物としての啓示によって導かれます。

しかし、御言葉に沿わない幻や預言、啓示は、神からのものではありません。長年クリスチャンである人が、サンダルを履き、白い衣をまとい、雲に覆われた人が部屋に入ってくる幻を見たという話を思い出します。彼は人の顔を確認しようとゆっくり首を上げて見ると、その姿は突然語りだし「あなたを癒すのは私の意志ではない」と言い、消えていったと語っていました。

彼は神の臨在を「感じた」と言い、すぐにそれがイエスだと信じました。それ以来、彼は自分が癒されるのは神の御心ではないと信じていました。イエスが現れたと彼を考えさせたのは一体何ですか。その人が白い衣を着ていたからでしょうか。その人が雲に覆われて現れていたからでしょうか。

そういう幻だけで、イエスと決めつけるには十分な理由とは言えません。もし、幻の中で、聖書と矛盾することを告げる声を聞いたとしたら、それは疑わしいことです。問うべきことはこれです。神は人々がよくなることを願っておられるのか。それは明らかにそうです。第三ヨハネ1章2節を読んでください。主は、夢や幻の中で、あなたに矛盾することを告げに来ることは決してありません。主は決してご自身と矛盾することはなさいません。すべての啓示は、神の御言葉に従わなければならないのです!このことが、あなたが御言葉を研究し、自分自身で御言葉を知らなければならない理由なのです。

祈り
父なる神よ、御言葉の計り知れない恵みと、父の完全な御心でいつも私を導いてくださる聖霊に感謝します。主の御言葉は私の光です。私はいつも賢く対処すべき状況のために、正確な導きを受け取ることができる祝福を受けました。私はキリストにある義に恵まれた人生を楽しんでいます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第一コリント13:9-10)というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。

(へブル1:1-2)神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。