He’s Worth Everything!
弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」
(マタイの福音書 26:8-9)
マラキ3:10は言います。“十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、・・・”この意味は金額の大きい小さいとは関係なしに十分の一は神様のものであるということです。十分の一をささげるかささげないかをめぐって決して話し合わないでください。十分の一をささげないことは神様のものを盗むことです。“人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉献物によってである。”(マラキ3:8)
神様に献金をささげたいのに、あなたに“なぜこのお金を無駄づかいするの?”とささやく声が聞こえるときがあります。それは悪魔の声です。悪魔は神様のみこころを果たす意図が全くありません。あなたが主に度が過ぎて多くささげることや、無駄づかいとなることは全くありません。重要なことは心の中であなたがそれに対する価値であり、主があなたにとってどれほど価値あるお方なのかを考えることです。
例えば、ある親たちは子どもたちが主の仕える働きを選んだことについて非常に怒ります。彼らは子どもたちに言います。“あなたが教会で働きたいと言ったなら、あなたを聖書学校に送ったでしょう、大学で勉強するようにお金を‘浪費’しなかったでしょう。”彼らの教育が主の働きに仕えるのにはあまり過分だと考えます。しかしあなたが所有したものの中でもっとも最高のものだけが、主にささげるのにふさわしいものです。主はあなたがささげることができるすべて物はもちろんであり、それ以上も受けられるのにふさわしいお方です。
あなたは心から主に仕え、主を人生で最高と思いあり、いきいきに満ちた喜びで感動的な勝利の人生を生きることができます。誰も虚しいことばであなたを欺き、主をそのように仕えることは無駄だと語らないようにしてください。その方は主であられます。したがって主はあなたのいのちやあなたが所有したすべてのものより尊いです!主はあなたを絶対的に所有されたお方です。
祈り
愛する父よ、私を救おうと私に父の最高であるイエス・キリストをくださり、同じく父のみこころを成すようにみことばを通して私を案内され、力を与え慰めてくださる聖霊様もくださり感謝します。父は私の全てと私がささげる最高を受けられるのにふさわしいお方です。私は今そして永遠に、私のいのちを尽くして父に仕えます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
ローマ8:32 ヨハネ3:16 Ⅱサムエル24:24
1年聖書通読
使徒の働き1章 Ⅱ歴代誌1-4章
2年聖書通読
Ⅱコリント1:1-11 伝道者9-10章