2025年6月6日(金)
主はあなたを養い、供給する方
The Lord—Your Sustainer And Provider

「 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)

クリスチャンとして、イエス・キリストが私たちの人生の主であると言うとき、それはイエス・キリストが私たちの救い主であるという以上の意味を持ちます。ヘブル語とギリシャ語の「主」には同じ意味があり、主人、世話人、供給者、養い手、上司、教師などが含まれます。これは、イエスが主であるということの本質を意味します。つまり、イエスはあなたの養い手であり、主人であり、世話人であり、提供する者であり、教師であるということです。

もしこれが真実なら、そして、それは真実であることは神に感謝すべきことです。主はあなたの面倒を見る力が十二分にあるということです。まるで主がそうすることに消極的であるかのように、あなたの世話をしてくださいと懇願したり、必要なものを与えてくださいと必死になってイエスに懇願したりする必要はないのです。このような祈りは、あなたの主であり、養い手であるイエスがどのようなお方であるかを理解していないことを反映しています。

マタイの福音書7章11節にあるイエスの言葉を読んでみましょう。「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」このことを少し考えてみましょう。あなたは主を信頼し、主の言葉だけに頼ることを学ばなければなりません。主の言葉に基づいて行動してください。世の中のシステムは破綻しています。

ヨセフの時代、聖書には 「銀が尽きた」と記録されています。インフレが蔓延し、通貨は無価値になったのです。しかし、その破綻の中で、神の民は超自然的な繁栄を経験しました。なぜでしょうか?彼らの信頼は、彼らの養い手である主にあったからです。

主イエスは、人生のあらゆる時期を通して、あなたを養ってくださる方です。マタイの福音書6章25節から33節を読めば、主はあなたの価値を強調し、何をすべきで何をすべきでないかを教えておられます。だから、今日、主の言葉に従って行動してください。勝利の人生は、神の言葉に基づいて行動する人のためにあるのです。

祈り
愛する父よ、私の主であり、養い手でいてくださることを感謝します。私はどんなことにも不安にならないと決心します。主が私の世話人であり、供給者であり、教師であり、源であり、養い手であることを知っているからです。私の信頼は主にあり、私は、毎日勝利のうちに主の御言葉によって生きるとき、超自然的な繁栄の中で働きをします。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(創世記47:15)、エジプトの地とカナンの地に銀が尽きたとき、エジプト人がみなヨセフのところに来て言った。「私たちに食物を下さい。銀が尽きたからといって、どうして私たちがあなたさまの前に死んでよいでしょう。」

(詩篇37:25)、私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。

(マタイ6:25-34)だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。