2022年3月8日(火)
主の遺言の中で私たちが受けたもの
What We Have In The Will

「すべての聖徒たち[神が聖別した人々]のうちで一番小さな私に、この恵み[好意と特権]が与えられたのは、私がキリストの測りがたい[限りなく、底知れぬ、計り知れない、尽きせぬ]富[人間が探し出すことのできない富]を異邦人に宣べ伝え。」 (エペソ3:8 AMPC)

ヘブル9章16節に、「遺言には、遺言者の死亡証明が必要です」とあります。この節で「遺言」と訳されている言葉は、ギリシャ語で「ディアテケ(diathēkē)」といい、最後の譲渡、最後の意志という意味です。17節には「遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません」とあります。

それは、遺言をした人が生きている限り、その遺言には効力を発揮することはできないという意味です。しかし、その人が死んでしまえば、その遺言の効力は発揮するのです。これは、私たちに新約聖書(新しい遺言)の仲介者であるイエスについて教えてくれるのです。そこでイエスが私たちに残してくださった遺言は何でしょうか。私たちに相続されたものは何でしょうか。私たちに何を預けてくださったのでしょうか。

主はご自身のものすべて私たちに与えてくださいました。主の命を含め、すべてを与えてくださいました。もし、ある人が遺言で、「私の持っているものはすべてあなたにあげます」と書いたら、その人が何を持っていたかを調べるのは賢いことでしょう。今日の御言葉で使徒パウロは、御霊の啓示によって、この最後の譲渡について宣べ伝えるために遣わされたことを説明しています。それは、私たちに遺されたイエスの富、遺言の中にあるものについて説明することです。パウロはそれを「キリストの限りなく、底知れぬ、計り知れない、尽きせぬ富[人間が探し出すことのできない富]」であると呼びました。なんと神聖なことでしょうか。

コロサイ1章12節は「また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように」とあります。このように、御父は私たちがキリストの富にあずかる者となる資格を与えてくださったのです。

では、私たちはどのように歩んだらいいのでしょうか。それは、御言葉を通してです。御言葉を学び、黙想するとき、キリストにある自分の相続財産を発見するだけでなく、神がキリスト・イエスの中であなたに与えてくださったすべてのものと関わり、楽しむことができるようになるのです。使徒20章32節で「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです」と語られています。

告白
私はキリストの果てしない、無限の、底知れぬ、計り知れない、尽きることのない富、人間が探し出すことのできない富へのアクセスを無制限に与えられたのです。貧困は私の人生にはありえません。私は神の相続人であり、それゆえ銀も私のもの、金も私のもの、世界が私のものなのです。神に栄光をお返しします!

参考聖書
(第二ペテロ1:3)というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。

(第一コリント3:21-22 CEV)ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。

(ローマ8:16-17) 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。