2024年6月15日(土)
主の愛と恵みを宣べ伝える
Proclaim His Love And Grace
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(2コリント5:19)
これは、パウロ書簡の中で最も深い箇所の一つです。すべての人に対する御父の愛の大きさ、御父の圧倒的で永遠の愛を明らかにしているものです!考えてみてください。神はキリストにあって、(クリスチャンではない)罪人の世界をご自分と和解させ、彼らの罪の責めを彼らに負わらせなかったのです。これは驚くべきことです!
ほとんどの人は、イエスが神であり、十字架上で罪と罪深い人間の身代わりとなってくださったという真実に気づいていません。イエスは人間への愛のために、最も過酷な痛みと罰を受け入れたのです。
イザヤ53章2節から3節で、 預言者イザヤが、イエスをどのように描写したかを思い起こさせます。そこには、 人々が見とれるような姿もなく、輝きもなく、人々が慕うような見ばえもなかったとあります。 また、まるで人が顔をそむけるほどさげすまれ、主を尊ばなかったと描かれていました。
しかし、この世の人々は、全世界の創造主、私たち一人ひとりを造られた方が、自分たちのために十字架にかけられた方であることを知らなかったのです。人々は主を認識できず、主の存在に気づきませんでした。しかし、 それで、主は、その愛を宣べ伝えるように私たちを遣わされたのです。
イエスは神の愛の体現者であり、人類をご自分と和解させるために遣わされたのであって、人々の罪の背きを彼らに負わらせなかったことを、全世界が知る必要があるのです。さらに、最も卑劣な犯罪者であっても、神に愛されているのです。神は誰に対しても怒りや恨みを抱きません。
聖書は、神は誰一人滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに至ることを望んでおられると述べています。(2ペテロ3:9)イエスが誰であるかを明らかにし、イエスの愛とその犠牲の価値を宣言することは私たちの務めなのです。神の愛と恵みの福音を宣べ伝えることは、私たちの責任なのです。
祈り
愛する父よ、父の愛と恵みの福音を私に託してくださったことを感謝します。私が父の愛の真理を大胆に宣べ伝える時、多くの人々が真理に耳を傾け、父の愛する御子の王国へと移され、父が彼らのために備えられた輝かしい相続財産を歩むことができますように、イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1ヨハネ4:10) 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
(ローマ5:8-10)しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
(ヨハネ3:16) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。