Privileged By His Grace

“神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。” (Ⅰコリント 1:9)

神があなたを召されて、神の福音のための計画にあずかるようにされたという事実に、驚くべきことではないですか?それは非常に尊いで崇高な使命です。キリスト・イエスが私達に恵みを与えられ、私達を受け入れたということを除くならば、私達の中で誰も神の計画の一部になる“資格を備えた”人はいません。“それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。”(エペソ1:6) なんと驚くべきことでしょう!それはあなたが永遠に感謝しなくてはならないことです。なぜなら、神の王国のため何かをすることができる個人的な資格を備えた人は、誰もいないからです。あなたが神との交わりと和解の務めを働きするように召しを受けたということは、栄えある特権です。

神は非常に偉大であるということを覚えてください。神は私達が想像する以上のお方です。さらに私達は神に近づくことさえできません。このことについて一度考えてみてください。経典(律法)を筆写したユダヤ人ラビ達は、神の御名を会う度にその御名を書く前に清くする儀式として身を洗わなければならなかったのです。
主の御名を書く度に彼らはこのようにおきてとして清くするのを繰り返しました。なぜなら彼らは主の神聖さを非常に高く崇められたからです。

しかし、あなたが知っているように、あなたが何度も水に入ったのかは重要ではなく、それがあなたを清めたりはしません。これが、イエスが私達に新しい命を与えられるために来られた理由です。あなたがどれほど水で自分を清められたのかは何の関係もありません。それが決してあなたの霊を洗ってくれないでしょう。私達は霊の清めが必要とされたのではありません。私達は新生(新しく生まれ変わること)の洗いと聖霊の新しくされる働きが必要でした。(テトス3:5) これが、イエスが私達のために成されたことなのです。

したがって、神があなたに神の王国の責任をくださったことに対し感謝してください。あなたは魂の救いにおいて神のパートナーとなり、この地での神の計画の一部となる特権を受けました。そのため神があなたに召されたことが何であっても最善を尽くしてください。主に仕えることに最善を尽くしてください。あなたの霊で主に仕え愛の中で機能してください。愛があなたの言語とメッセージ、生き方、そして日常的な表現になるようにしてください。

祈り
愛する父よ、私を信仰のある者と認め主の働きに共に参加するようにいただき感謝します。私は私の心で、勤勉で真実に父に仕え、日ごとに傷ついた心に父の愛と変わらない愛情を表現することで彼らを父の愛の泉へと連れて来ます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
エペソ 1:3-6、エペソ 2:8