We Glorify His Name

「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」(エペソ3:21)

多くの場合、祈りや礼拝の歌の中で、「主よ、全地であなたの名が栄光に輝かせるように…」と言うクリスチャンもいます。それはいいように聞こえますが、私たちは、神に、神ご自分の名を栄えさせることを期待している立場に置かれています。しかし、それは神の考えではなく、私たちこそが神を賛美する者です。ヨハネ17:4で、イエスの言葉を思い出してください。「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました…」。これが私たちに求められていることです。

今日の本文による、「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように」と言っています。これは、教会が神に栄光を帰すことを期待していることを意味しています。あなたの人生は神の栄光のためにあります。あなたが一貫して神の御言葉を実践し,神の神聖な命と性質の実をあなたの内に結ぶとき,神は栄光を受けられます。あなたが健康で、繁栄し,神の義,偉大さ,美しさ,知恵をもって世界に影響を与え,御言葉に基づいた結果を生み出すとき,主は栄光を受けられます。

イエスが、マタイ5:16で言われたのも不思議ではありません。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」神は、あなたの義の行ないによって、栄光を受けておられます。 先ほど読んだヨハネ17:4の後半部で、イエスが父の望まれる御業を行なうことによって、父の栄光を現したことが示されています。「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。」

これが御言葉を勉強しなければならない理由のうちの一つです。神が何を望んでおられるかを知り、毎日、あらゆる場所で、神の御言葉を実践することによって、神に栄光をささげるためです。神をほめたたえましょう!

告白
神は、私の中でご自身を栄光に輝かせられました。もう私は行く先々で、神の栄光を運びます。私の人生に恥じることはありません。私は栄光の中を歩き、私の人生は栄光、すなわち名誉、輝き、偉大さ、美しさ、そして好意に満ちています。私は一貫して神聖の健康と繁栄の中を歩き、神の栄光によって、私の世界に影響を与えています。主をほめたたえましょう!

参照聖書
(ヨハネ2:11) イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

(ヨハネ15:8) あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

(コロサイ1:27) 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

(マタイ5:16(AMPC)このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。