3月19日(日)
主の御名による癒しと健康
Healing And Health In His Name

「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(使徒3:16)

イエスの御名を用いるとき、私たちができることや私たちが得ることができるもの、つまり私たちが経験できる祝福と栄光は驚くべきものです。今日の御言葉で読んだ内容を思い出してみてください。イエスの御名は癒しと健康をもたらします。あなたの体に完璧で健康的な状態にします。神に栄光をお返しします。

福音書の全般にわたって、人々はイエスの衣の裾に触れ、直ちに癒されたさまざまな例を見ることができます。例えば、ルカ8章に登場する長血をわずらった女がそうです。聖書によると、彼女はイエスのうしろに近寄って「イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった」(ルカ8:44)とあります。

この聖句の「ふさ」とは、ギリシャ語で「クラスペドン(Kraspedon)」と言い、「縁」や 「房」を意味します。また、マタイ14章では、イエスがゲネサレの地に来たとき、人々が癒しを求めてイエスに集まりました。聖書によれば、彼らは「せめて、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた」(マタイ14:36)。

主は何もする必要がありませんでした。人々に必要なことは、主の衣の縁や端に触れるだけで、癒されたのです。しかし、今日、私たちはより栄光なのです!あなたは主の衣に触れる必要はありません。主の御名を口にすれば、あらゆる病気は屈服し、癌が消滅します。手足の麻痺が完治するのです。主の御名が今日の答えなのです。

マルコ6章56節で、イエスが行かれるところは、どこでもそうだったと語られています。「…村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた」。その同じ力が、今日でも主の御名によって働いているのです。

イエスが、私たちに病人を癒し、らい病の人を清め、死者をよみがえらせるよう命じられたのも不思議なことではありません(マタイ10:8)。マルコ16章17-18節で「信じる人々には次のようなしるしが伴います…病人に手を置けば病人はいやされます」と言われました。神をほめたたえます!

祈り
主よ、体に病がある主の子たちのために祈ります。今日、彼らがその限界と束縛の所から立ち上がり、癒されるようイエスの御名によってお祈りします。彼らの中にある主の命が彼らを完全にします。彼らの中におられるキリストが、彼らの心と体を完全で健全なるものにしてくださいます。ハレルヤ!

参照聖書
(ヨハネ10:10)盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

(使徒3:16)そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。

(ピリピ2:9-11)それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。