Born To Love Like Him

“あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。”(ヨハネ13:34)

神様は旧約時代のイスラエル民族に数々の戒めと律法を与え、神様がアブラハムと結ばれた約束の祝福を享受するためには、それらに従順しなくてはいけないと教えられました。しかし新約で主イエスキリストは,十字架にかかられる前にヨハネの福音書13:34でこのように言われました。“あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。” 新しい戒めは、まさに主が私たちを愛されたように私たちも互いに愛さなくてはならないということです。

この戒めを下さってから後、主は私たちのために十字架で死なれ、、神様は主を死人の中からよみがえらされました。主は新しいいのちを持って死人の中からよみがえられ、神様は主に“あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。”と言われました。そうして主は新しい被造物のかしらとなられ、私たちは主から、主のように愛するようにと生まれたのです。エペソ5:1-2は私たちに、神にならう者となりなさいと告げた後、このように言います。“…キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。”

私たちも天におられる私たちの父にならって、愛によって行動することが出来ます。その方の愛が私たちの中にあるからです。ローマ5:5は言います。“この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。” 神様は、神様が愛されたように私たちも愛することができ、また互いに愛し合うように新しい戒めを行うことが出来るように、私たちの心に神様の愛を注いで下さったのです。

罪を犯すこと(聖書がⅠヨハネ3:4で不法を行うと描写していること)の一番初めの理由はまさに利己心、すなわち欲深さであり、これは愛の正反対です。愛するなら与えます。“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。”(ヨハネ 3:16) 愛は施し、他の人々を配慮します。しかし利己心はただ、自己中心的です。だから聖書が“愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。”と言っているのです。新しく生まれ変わったあなたは、愛の本性を持っているため、神様があなたを愛されたように、他の人々を愛することは当然の事なのです。

祈り
天の父よ。あなたの祝福なる御言葉と、私の人生の内にあるその能力に感謝をお捧げします。私はあなたの御言葉を行い、あなたが望まれている私となり、あなたが私にするように願われており、あなたの御名が栄光と賛美を受けられる事を行うためにあなたの御言葉を私のたましいの中に持っていきます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

参考聖句
ヨハネ 15:12、ローマ13:10