Remain Focused And Afire For The Lord
「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒20:24)
今日の本文の御言葉は、教訓的でありながら、同時に感動的です。それは、あなたが逆境に直面するとき、必ず身につける考え方を示しています。 2テモテ3:12は、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」と言っています。
あなたが主の働きを効果的にしているとき、明らかにあなたを批判し、あなたに対して軽蔑な言葉を言う人がいるでしょう。それでもあなたは毅然(きぜん)としなければなりません。彼らの批判や悪事が、主と、主の働きに対するあなたの熱意を止めるように、放っておかないでください。主に集中し燃え上がってください。そして、あなたに言われた主の働きを続けてください。
あなたは、山の上にある町で隠れる事ができません(マタイ5:14)。それはあなたが注目を集めていることを意味します。あなたの主への情熱と献身に感動を受ける人もいますが、それによってあなたを嫌がる人もいます。しかしどちらも構いません。ただ主に仕え続き、責められた気持ちにはならないでください。
あなたに関し他人の意見は重要ではありません。あなたについての主の言葉だけを集中してください。主はあなたが人生の中で直面する課題に悩まされることを望んでおられません。むしろ、主はこう言われています、「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)
初代教会の使徒たちのように、イエス・キリストへの献身に対して批判や迫害を受けるあらゆる機会を喜びましょう。これは、あなたの人生を向う神の召しの方向に合わせて、あなたが効果的に行なって、驚くべき進歩を成し遂げていることを示しています。
聖書に、「使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。」(使徒5:40-41)とあります。
主イエスでさえ、律法学者、パリサイ人、サドカイ人に批判されましたが、イエスは動揺されませんでした。あなたが熱心に主に仕えるとき、サタンはあなたを敵対して問題を引き起こすでしょう。しかし、使徒パウロのように、「これらの事のどれも私を動かさない」と宣言し、栄光から栄光へと進み続けましょう。アーメン。
祈り
祝福された御父よ、主は私にとってすべてです。主をもっと知り、私の人生を尽くして主に仕えることが、私のハートビートの理由です。ですから、どんな逆境が私の道に来ても関係ありません。主の中で私の勝利を知っているため、私は落ち着いています。私は圧倒的な勝利者です。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(イサヤ50:7) しかし、神である主は、私を助ける。それゆえ、私は、侮辱されなかった。それゆえ、私は顔を火打石のようにし、恥を見てはならないと知った。
(使徒20:18-24) 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。20益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。