2024年1月20日(土)
主のために熱心になれ
Be Zealous For Him

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。…あなたは、自分では富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、…」(黙示録3:15-17)

ラオデキアは豊かな都市でした。主要な貿易ルート上にあり、通貨交換の中心地でもありました。地震で町の一部が破壊されても、再建するのに十分な資金があったため、帝国主義者からの経済援助を拒否することさえできました。

しかし、豊かで自由に使える資源が十分にあったため、彼らは霊的に生ぬるくなってしまったのです。「なまぬるい」とは、冷たい、無表情、不活発、受け身的という意味です。それは今日、「私はクリスチャンだけど、それほど熱心ではないです。私の信仰は静かで穏やかなものだけです。」というような人たちです。

しかし、イエスはラオデキアの人々に言われました、「このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう」(黙示録3:15-16)。つまり、主は彼らを不愉快に思い、吐き出そうとしておられたのです。悲しいことに、人々はこのことを知りませんでした。彼らは、自分たちが集まるたびに、主は外にいて教会に入ってこないことを知らなかったのです。だから、主は「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」(黙示録3:20)と言われたのです。教会の中におられるはずの主が、うんざりしておられたのです。

イエスはラオデキアの人々に、自分たちの富を信頼せず、熱心であるようにと進めされました。「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい」(黙示録3:19)。「熱心である 」とは、「熱意で燃えている、熱くなっている 」という意味です。主は、あなたが冷たかったり、生ぬるかったりすることを望んでおられないのです。実際、主はあなたに熱心であるように命じておられます。

なまぬるいより、熱心であるほうがよいのです。イエスが「もう十分だ」と言われるためには、あなたがどれだけイエスのために熱心でなければなりませんか。私たちが天の国に着くとき、十分だと言えるでしょう。誰にも「あなたは神のために十分にやりすぎている」と言わせて欺かれないようにしてください。神のためにベストを尽くし、ベストを生きるのです。

祈り
愛する父よ、私はいつも情熱的であり、活気に満ち、霊において輝きを放っています。私は私の世界に福音を伝える準備ができていて、燃えています。私は永遠の命のメッセージで私の世界を照らし、多くの人を暗闇の束縛から神の子たちの栄光ある自由へと導く、燃える光、輝く光です。私のうちで、そして私を通して明るく輝く父の光を感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(ローマ12:11)勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

(テトス 2:13-14) 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。14 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。

(ヨハネ 2:17 )弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。