Be Zealous For The Lord

「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示録3:19)

霊的に力の抜けているクリスチャンがいます。彼らは熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいです。彼らは、自分のことを「一般的な」クリスチャンだと思って、他のクリスチャンのことを「霊的過ぎる」あるいは過激であるとあざけりながら、いざ本人は霊的に受動的で、霊的なものに無気力であり、無関心です。

主は、黙示録3:15-16に、このような霊的無気力と無能さに対する御心を啓示してくださいました。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」 神がこのように言われたのであれば、非常に重大なことです。

ぬるま湯のようなクリスチャンであり続けるならば、地獄に終わる可能性があります。私たちはみな、福音に対して自分をきちんと位置づけ、クリスチャンとしての有益な歩みが出来なければなりません。主の為に、熱心になってください。なまぬるいクリスチャンは、教会の礼拝の中でも、通常、無表情です。ただそこにいるだけです。他の礼拝者みなが、賛美にあふれ、主をほめ歌いながら主に向かって踊っていたとしても、なまぬるいクリスチャンは、「どうしてみんな踊っているのだろう?何をそんなに興奮しているのだろう?」と疑問に思い、牧師が何を言おうが行おうが、他の人たち全員が笑っていたとしても、彼らは無表情のままでいます。

牧師が「手を上げて主を賛美しましょう」と言ったとしても、なまぬるいクリスチャンは手を上げません。神を誠に礼拝する情熱に欠けているのです。もし、あなたがそのようであったならば、主は言われています。「熱心になって、悔い改めなさい!」 熱心になるというのは、火がつけられたようになる、という意味です。 つまり誰も消すことのできない激しさで、あなたの火を燃やすという意味です。主イエスは言われました。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)

聖霊に関することに興味を払いましょう。聖霊の流れに身を委ねてください。燃えるような輝く光として、周りに示してください。御霊に満たされてください(エペソ5:18)。

祈り
愛する御父よ、私は聖霊のことに関する熱心と、御国を広げるため熱心に捕らわれました。私は燃えるように輝く光です。私は義の胸当てをつけ、平和の福音の備える靴を履いて、霊に燃え、主に仕えます。 私には福音によって素晴らしいインパクトを与えるための情熱でいっぱいです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参考聖書
コリント人への手紙 第一15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

ローマ人への手紙 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。