2025年1月1日(水)
主のために忙しく過ごしましょう
Get Busy For The Lord

「こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。…」(ヤコブ5:7)

今年は非常に特別な年であり、あなたが毎日スケジュールを立てて行うべきことのひとつは、イエスについて人々に語りかけることです。今の緊急性がそれを求めているのです。主は間もなく来られます。主の再臨である主の到来について語るとき、その間にもう一つ非常に重要な出来事があります。それは、教会が取り去られる事であり、教会の携挙と呼ばれているものです。

携挙とは、聖書に書かれている出来事で、キリストにあって死んだ者がよみがえり、生きて残っている私たちも彼らと一緒に捕らえられ、空中で主と出会うためにこの世から連れ出されることです。この出来事(教会の携挙)は非常に近いのです。それゆえ、聖書はこう言っています。「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」(2ペテロ3:11)

あなたの生き方は、主の再臨を待ち望んでいることを反映し、示さなければならないのです。マルコの福音書13章35節から37節はこう言っています。「だから、目をさましていなさい。家の主人がいつかえって来るが夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないのです。主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。…」主が戻ってきて、あなたが眠っていたり、何もしていないのを見つけないようにしてください。 主のために忙しく生きなければなりません。

さて、今日、あなたは主のために何をしていますか?これは熟考すべき非常に重要な質問です。主のために忙しいのか、それとも自分のため、会社のため、あるいは地上の家族のために忙しいのか。主のために何をしていますか? かつて誰かが、「人への奉仕は主への奉仕である 」と言いました。それは真実ではありません。

神への仕えはすなわち人への仕えであり、人への仕えは単に人への仕えではなく、神があなたに頼まれた人への仕えです。ですから、聖書にあるように、主に仕えながら生きてください。「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(2コリント5:15)1コリント15章58節に 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。」

告白
私は、主が間もなく再臨されることを意識して毎日を過ごし、主が私に召された仕事、魂を勝ち取り、福音を後援することに熱心に取り組みます。私は神の御言葉に従って生き、神を賛美する実を結ぶように強められます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(1テサロニケ4:16-17)4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

(1ペテロ4:7)万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。