12月21日(水)
主のあわれみと恵みの日
The Day Of His Mercy And Grace

「…あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」(ヤコブ2:13)

今日の世界の悪、邪悪、欺き、苦しみ、残酷さを見て、それらが神の裁きの結果であり、罪によるものだと結論づける人がいるかもしれません。しかし、それは全く真実ではありません。私たちは神のあわれみと恵みの日、つまり新しい時代にいるのです。私たちは新しい契約の中で生きていて、旧約聖書の時代とは違うのです。

今日、世界で起こっている罪悪は、神からの裁きではなく、むしろサタンが世界に仕掛けた行動であり、策略なのです。このことは、御霊と御言葉によって簡単に見分けることができます。そのため、神は私たちがサタンに立ち向かって命じることによって、この世界と人々の人生からサタンの影響を断ち切ることを望んでおられるのです。

罪は存在しますが、イエスがすでにすべての人に代わって罪の代価を支払われました。聖書は「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ8:1)と言って います。「罪に定められる」と訳された言葉は、裁きと同じ意味です。イエスは私たちの代わりに裁かれ、私たちのためだけでなく、全世界のために裁かれたのです。「この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです」(第一ヨハネ2:2)。

サタンは、神が彼らに腹を立て、罰し、苦痛を与えていると人々に信じさせたいのです。しかし、その背後にいるのは神ではなく、サタンなのです。ですから、私たちの任務は、神が世界について怒っているのではないことを知らせることなのです。むしろ神は、キリスト・イエスにおいて義と永遠の命を値なしに与えられ、彼らを自由へと移されたのです(第二コリント5:19)。

ヘブル4章16節は「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」と書かれています。またエレミヤ哀歌3章22節には「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ」とあります。私たちは今、主のあふれる恵みとあわれみの時代に生きているのです。神に祝福がありますように。

祈り
愛する父よ、私は今日、主の栄光を現します。主の御心と義をこの地に確立し、魂を勝ち取り、人々を暗やみから主の驚くべき光の中に引き入れます。私は主の愛をあらゆるところに広めます。人を悔い改めさせる主のあふれる恵みとあわれみと優しさに感謝します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(使徒10:38)それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。

(ローマ3:23-25)すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

(エペソ2:13-15)しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、