2024年7月30日(火)
主に関する「エピグノーシス」が増し加える
Increasing In The “Epignosis” Of Him

「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。」(コロサイ1:9-10)

私たちが今読んだ御言葉は、使徒パウロを通して教会に対する御霊の祈りです。神は、あなたが神を知る知識においての成長と同時に、あらゆる良い行いにおいて実を結ぶことを望んでおられます。これは非常に重要なことです!ここでパウロの言葉の選び方は、彼が知識を表すために「エピグノ-シス(Epignosis)」(ギリシャ語)を使っていることです。

この言葉は聖書の時代には日常会話ではあまり使われなかったものです。興味深いことに、この言葉はペテロも第二の手紙の中でしか使っておらず、おそらくパウロのメッセージに影響されたのでしょう。「エピグノ-シス」とは、正確で正しい知識のことです。「エピグノ-シス」の力は、すでに知っているものと関連付かせる能力にあり、それは深い知識を伴う知識です。 

パウロは、ユダヤ人が一般的によく知らなかったこの知識を紹介しました。彼らは律法を読み、内面化し、繰り返すことに集中していました。しかし、神はそれ以上のことを望んだのです。神が彼らに望んだのは、神について単なる頭の知識ではなく、神についての 「エピグノーシス」でした。

神が、「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。」(イザヤ29:13)と言われたのも無理はありません。主イエスも同じ言葉を、マタイの福音書15章8節で繰り返しています。「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。」

旧約聖書における人々にとっては、律法のあらゆる細部や側面を暗唱することはできても、神との真の関係はなかったのです。そこでパウロは知っていることとの連結性を含んでいる、より高知な形の知識を紹介したのです。 

「エピグノーシス(Epignosis)」とは、単なる観察を超えた、深い霊的なつながりを意味するのです。したがって、聖書と関わるとき、それは単に日常的な学習ではなく、主や主の神聖な真理との関係および交わりを深めることなのです。ハレルヤ!

告白
私は、すべての知恵と霊的理解において、神の御心に対する正確で精密な知識に満たされます。私は主にふさわしく歩み、あらゆる点で主を喜ばせ、あらゆる善行において実り豊かになり、主に対する私の「エピグノーシス」が増し加わるにつれて、その力を経験しています。イエスの御名によって告白します。アーメン。

参照聖書
(2ペテロ1:2-3)イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。2 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。3 というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。

(2ペテロ3:18) 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。