12月18日(日)
主に真の賛美を捧げる
Give Him True Worship
「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。」(へブル12:28)
神の子として私たちが持っている最大の栄光の一つは、神を礼拝する特権です。私たちの主への礼拝はとても神聖なもので、生半可な気持ちや不遜な態度で行うものではありません。ある人は、礼拝の環境にいながら、他のことに気を取られてしまうかもしれません。ある人は、礼拝が行われている間、携帯電話を使ったり、世間話をしたりしているかもしれません。それは不遜であり、無秩序を表しているのです。
主は真の礼拝に値し、また真の礼拝を要求しておられます。真の礼拝は心からであり、雑念なく捧げられるものです。そして、真の礼拝者は、父なる神を知っている者です。ヨハネ4章にある、主イエスとサマリヤの女の会話を思い出してください。20節で、女はこう言われました。「 私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
主が応じられました。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています」(ヨハネ4:21-22)。イエスはサマリヤ人が礼拝していないと言われていません。むしろイエスは、彼らが誰を礼拝しているのか知らないと言われました。
それから主は23節で言われました。「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです」(ヨハネ4:23)。つまり、真の礼拝者がいるのです。あなたが心から神を礼拝することを学ぶなら、それはあなたの人生を築き上げ、とてつもない祝福をもたらすことでしょう。
礼拝の時間、特に教会での神への賛美の礼拝を真剣に行いましょう。私たちは、神に仕えることで礼拝し、職場の中でも神を礼拝します。私たちは祈りの中でも神を礼拝します。そして賛美の中で神を礼拝することが最も大切なことなのです。礼拝する態度だけでなく、主に真の礼拝を捧げる敬虔な生活を維持しましょう。
祈り
愛する父よ、主よ、主の偉大さ、力、栄光、威厳、輝きを賛美します。主は恵み深く、神聖で、正しく、清く、優しいお方です。主だけが神です。主はすべてのものの上に、頭として高くおられます。私は神聖さと真理によって主に感謝をささげます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ピリピ3:3)神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
(黙示録4:10-11)二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」