2025年5月15日(木)
主との一体を大胆に語れよ
Speak Boldly Of Your Oneness With Him
「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:30)
ヨハネの福音書10章32節から38節には、主イエスと、イエスが神を冒涜していると非難し、逮捕の機会を狙っていたユダヤ人指導者たちの不審な態度について書かれています。39節には、「そこで、彼らはまたイエスを捕らえようとした。しかし、イエスは彼らの手からのがれられた。」(ヨハネ10:39)とあります。
この節の後半には、「イエスは彼らの手からのがれられた。」とあることに注目してください。ある人たちは、イエスは恐れて逃げたと言いますが、それは違います。イエスには恐れる理由がありませんでした。思い出してください。イエスは死に直面し、逃れる機会がありましたが、死を避けようとしませんでした。しかし、その時はイエスの贖いの時ではなかったからです。
もしイエスが彼らに危害を加えることを許していたら、御父が介入され、彼らは滅ぼされていたことでしょう。イエスはそのことを知っておられたのです。マタイの福音書26章53節で、イエスはこう言われました。「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。」これが神の御子であり、ご自身の権威と、命令による御使いたちの力を十分に自覚していたのです。
エリシャとそのしもべが軍隊に囲まれたときのことを考えてみましょう。しもべは恐れましたが、エリシャは彼に言いました。「…『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者より多いのだから』と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」(2列王記6:16-17)
エリシャにそのようなことが起こったのなら、主イエスについても考えてみましょう。主イエスは、ご自分には無数の御使いたちがついていることを知っておられたのです。主の行動は目的があり、常に主導権を握っておられることを示していました。主はプレッシャーの中にあっても、御父の御心を実現することに集中し続け、神のご計画に対する勇気と確信の完璧な模範を示してくださったのです。
この同じイエスが、今日、御霊によって私たちの内に生きておられるのです。主の大胆さは私たちの大胆さです。主のように、あなたも御父を完全に信頼し、御父の愛、力、そしてあなたの人生に対する完全な目的を確信して歩まなければならないのです。詩篇118篇6節には、「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。」とあります。
さらに、使徒パウロは2テモテ1章7節で、この真理を強調しています。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」ハレルヤ!キリストにあってあなたが誰であり、キリストとの一体を大胆に告白してください。それがユダヤ人たちを怒らせたのです。彼らの宗教的な思考は、イエスが御父との一体を大胆かつ確信を持って語られたことを受け入れられず、共感することもできませんでした。そして、私たちもイエスと同じ者なのです。
告白
私はキリストの大胆さと勇気のうちに歩みます。恐れの余地は私のうちにはありません。私は大胆に、主との一体を告白します。私は主にあって大胆に生き、私の人生に対する主の神聖な守り、導き、計画に対する信仰と確信に満ちています。私は、キリスト・イエスにある勝利について主に感謝します。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ10:32-39)イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、あなたがたは神である。』と書いてはありませんか。もし、神のことばを受けた人々を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」そこで、彼らはまたイエスを捕えようとした。しかし、イエスは彼らの手からのがれられた。
(1 ヨハネ4:4)子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
(1 ヨハネ4:17)このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。