He Took Them All Away
“夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」”(マタイ 8:16-17)
イザヤ53:4で、預言者イザヤは啓示を通してキリストの苦難、すなわち主の十字架の苦難を預言し、主の十字架での死を描写しました。“彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い(hath borne)、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。”(イザヤ53:3-4) これが今日の本文箇所でマタイが引用した個所です。主イエス様は私たちの病を負い、私たちの痛みをになわれました。
イザヤ53:4で“負い”と翻訳されたヘブル語は“ナッサー(nâsâh)”であり、これは“持って行ってしまう(to take or carry away)”という意味です。同じくマタイの福音書8:17の“背負った(bare)”という単語は、“取り除く、または持って行ってします(to remove or to take away)”を翻訳したものです。二つの単語どちらも、他の人の荷物を自分がになってそれを持って行ってしまうという意味を持っており、それがイエス様が私たちの痛みと病に対してなさったことです。
“あなたは痛いとき、イエス様があなたのもとに来られ、あなたの痛みと苦しみをともにされます”と言う人々がいます。違います。そうではありません!イエス様はそれらのものを持って行かれたので、したがってあなたはそれらのものを決して持っていってはなりません。しかしなぜ多くの人々は、変わらず病んでいるのでしょうか?主が彼らのためになされたことに対して知らないからです。主の死によってあなたは永遠のいのち{[ギリシャ語]ゾエ(Zoë)}を得るようになりました。このいのちは栄光に満ちたいのちです。
あなたの体で苦しみや病の症状が感じられても重要ではありません。信仰で堅く立って宣言してください。“私は痛みを拒否する!” たびたび宣言してください。“イエスの御名によって私は健康で行う!”
告白
私はどんな弱さも痛みも病も私の体にとどまることを拒絶します。イエス様が私のすべての弱さを持って行かれ悲しみを耐えられたからです。私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために主は砕かれました。主への懲らしめが私たちに平安をもたらし、主の打ち傷によって私たちはいやされました。ハレルヤ。
参考聖句
Ⅰペテロ 2:24, イザヤ 53:3-4
1年聖書通読
ローマ 15:14-33
詩篇 99-101
2年聖書通読
ピリピ 2:19-30
イザヤ 65章