2025年6月7日(土)
与えることの力
The Power Of Giving
「さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、」(使徒の働き10:1-2)
神は明らかに利己主義に反対される方です。逆に、神は与える人を救い、祝福し、高めるためなら、どんな機会でもつかむことができます。「救う」という言葉に注目してください。与える人、つまり気前よく、寛大な人であるノンクリスチャンでも神の注意を引き、神は彼らを救おうとするのです。もし、主が彼らのために祈る人を見つけるなら、神は公義の権利を行使し、彼らを救いに導こうとされるでしょう。
使徒の働き10章でコルネリオの物語は、この真理を見事に示しています。コルネリオはローマの百人隊長として異邦人であり、ユダヤ人社会の一員ではありませんでした。しかし、コルネリオは神を畏れる敬虔な人であり、その寛大さで知られていたのです。彼は人々に施し、絶えず祈っていました。
コルネリオの施しと祈りは見過ごされることなく、神の前に供えとして掲げられたのです。彼の寛大さのゆえに、神は御使いを遣わし、コルネリオに神の指示を与え、ペテロに救いのメッセージを伝えさせました。考えてみてください。コルネリオに御使いが現れたのは、彼の施しのおかげなのです!
神は、コルネリオの寛大さのゆえに、コルネリオと彼の家族のために救いの計画を立てられたのです。ペテロが、イエス・キリストについて伝えると、聖霊がその場にいたすべての人の上に下りました。彼らは異言を語り始め、神を賛美しました。この瞬間は、初代教会における極めて重要な要点であり、福音の世界的なビジョンを明らかにしました。
神は物惜しみを軽蔑されます。それは神の本質に反し、悪魔の本質を反映しています。神はケチな人を見るたびに敵を見るのです。しかし、与える人を見るとき、神はその人の中にご自身も持つ何かを見て、愛をもってその人に引き寄せられるのです。2コリント9章7 節でAMPCは言っています。「…神は快く[いそいそと]寄付する者[寄付することを心からたいせつに考えている者]を愛される[神は彼を喜び、他の色々のことに勝って大事にし、彼を捨て去る、その人なしで済ませることを喜ばれない]からです。」これをあなたの描写にしてください。そうすれば、神の愛に圧倒されることでしょう。
告白
私は快く与える者であり、与えることを通して、神の神聖な目的と一致し、神の豊かな恵みを体験します。私は超自然的な祝福、好意、増大の中で生きています。私を私の世界への祝福の水路の通り管とされた主に感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(2コリント9:6-7)私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
(箴言11:24-25)ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。