2024年9月10日(火)
不敬虔な人々を喜ばせることを求めるな
Don’t Seek To Please Godless Men
「悪い者たちをねたんではならない。彼らとともにいることを望んではならない。」(箴言24:1)
神をも恐れぬ人々をうらやみ、彼らの仲間になりたいと願うクリスチャンを見かけることがあります。ある人は、「有名人」と自分自身を同一視することに興奮する人もいます。何らかの理由で、ある有名人の仲間に招かれると、彼らはそれを一大事だと考えるのです。しかし、神の見方はそうではありません。神は、あなたが神を信じない男女をうらやむことを望んでおられないのです。
詩篇1篇1節で主が言われたことを思い出してください。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」主の道と王国の生き方を軽んじる邪悪な者たちとつるまないあなたは、祝福されているのです。彼らをうらやましがったり喜ばせたりしないでください。たとえ彼らが裕福で影響力があっても、その富に誘惑されてはいけません。
私はまだ幼い頃、冒頭の聖句に触れ、人間関係について良い教えを受けました。つまり、何が私にとって良いことか、何が悪いことなのかについて教えてくれました。ですから、私は幼い頃から、相手が誰であろうと、何を持っていようと、キリストのために生きていない人々からインスピレーションを受けることはありませんでした。
次の箇所は、なぜ彼らをうらやんだり、彼らと一緒に楽しんではいけないかを示しています。「彼らの心は暴虐を図り、彼らのくちびるは害毒を語るからだ」(箴言24:2)彼らには闇の性質がありますが、あなたは光の子であり、実際、あなたは光なのです。(エペソ5:8)なぜあなたが彼らを喜ばせるために努力してはいけないのか、おわかりでしょうか?
あなたが喜ばなければならない方は、主イエスだけなのです。この事実は重要です。イエス・キリストを本当に愛している人は、あなたのすることを喜ぶからです。しかし、もしイエスを愛していない人たちがあなたのすることを喜ぶなら、それは問題であり、あなたはそのことについて悩む必要があります。ガラテヤ1章10節で、パウロはこう言っています。「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」
告白
私は神を信じない人をうらやましくもないし、彼らと一緒にいたいとも思いません。私は光の子として歩みます。私は主にあって光であるからです。私の喜びは主イエスを喜ばせることであり、私は常に主を尊敬します。私は義の実を結ぶために、私の内におられ、私を義の道に導いてくださる神の御霊に導かれています。イエスの御名によって告白します。アーメン。
参照聖書
(箴言24:1)悪い者たちをねたんではならない。彼らとともにいることを望んではならない。
(エペソ5:8)あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
(ガラテヤ1:10)いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。