2023年9月15日(金)
サタンの策略に注意を払う
Be Mindful Of Satan’s Manipulations

「結局のところ、私たちは知らず知らずのうちにサタンにさらなる悪さの隙を与えたいとは思わない–私達は彼の悪賢いやり方に気づかないわけではない。」(2コリント2:11 MSG)

イエスが迫り来るご自分の死について語られた決定的な瞬間に、イエスの最も近い弟子の一人であったペテロがイエスを引き寄せて、異議を唱えながらこのように話しました。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません」(マタイ16:22)。イエスの答えは迅速かつ明確でした。イエスは振り向いて、ペテロに次のように言われました。「サタン。引き下がれ。」(マタイ16:23)

主イエスは、サタンがペテロを通して語っていることに気づいていたのです。しかし、ここで注目していただきたいことがあります。イエスはペテロに語りかけるとき、悪魔がペテロの近くにいるかのように、周りを見つめながら話をしませんでした。イエスは悪魔がどこにいるのかを知っておられました。悪魔はペテロの中にいたのです。

さて、ここで多くの人が見落とすことがあります。彼らはこう言います。「ペテロがかつて悪魔につかれていた者であることを想像してみましたか!」いいえ、そんなことではありません! ペテロは悪魔に取りつかれてはいませんでしたが、彼が語った言葉はサタンの影響を受けていたのです。人々がサタンの言葉を受け入れることは、サタンを受け入れたようなものです。 これは悪魔に取りつかれたものとは違います。

悪魔に取りつかれるというのは、一人の人がその霊に完全に捕らえられて自ら自由ではない場合のことです。悪霊にとりつかれた人は、悪霊の言うとおりに行動するよう強要されるからです。

ペテロのケースに似たもう一つの例は、旧約聖書に記されている事で、サタンがダビデを動かしてイスラエルの人口を数えたことです(1歴代誌21章、2サムエル記24章)。義人であったダビデは、サタンの働きかけによって自分が動かされたことに気づきませんでした。同じように、ペテロもまた、サタンが自分を通して働いていることに気づいていませんでした。

御言葉の中で、御言葉によって、御言葉を通して、聖霊に従うことを学ぶことが、どれほど大切なことでしょうか! これは、私たちが他の人、特に指導者たちが常に正しいことを行われる意志、願望、大胆さを持って聖霊の導きを受け、聖書と対立することを決して行なわないように祈り、とりなしなければならない理由です。

ですから、聖書に従って、まずすべての人のために、また王と権威ある者のためにいつも執り成し、感謝をささげるようにしてください。それは、私たちが敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生を送るためなのです。(1テモテ2:1-2)

祈り
愛する父よ、私は真理に堅くとどまっています。私は悪魔が用いる手口、策略、操り、欺きを知り、注意を払っています。御言葉は私の足元の灯であり、私の道の光です。御言葉は私の人生において優位に立ち、私を霊、魂、体を清めます。私は、私の人生における聖霊の導きに敏感です。聖霊は、私を神の完全な御心と神の栄光のうちに歩ませてくださいます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1ペテロ5:8-9)身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

(ヤコブ4:7)ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

(1歴代誌21:1-2)ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。ダビデはヨアブと民のつかさたちに言った。「さあ、ベエル・シェバからダンに至るまでのイスラエルを数えなさい。そして、その人数を私に報告して、知らせてほしい。」