Live As A Christian

「だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。」(1ヨハネ3:9)

今日の御言葉を正しく理解するには、適切な文脈で読む必要があります。この箇所の意味は、実際に1ヨハネ2:6に述べています。「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。」(1ヨハネ2:5-6)。 この箇所が「神のうちにとどまっているという者は、キリストが歩まれたように歩みます。」とは言っていないことに注意してください。むしろ御言葉は、「自分でも」、つまりあなたがクリスチャンであるなら、クリスチャンとして(生きて)歩くべきだと言っています。キリストが歩まれたように歩みましょう。

ローマ8:6はこう語っています。「 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」主はこの御言葉を通して私たちに御霊の中を歩くように教えています。主は、「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)と言われています。これらはすべて、神の言葉として、私たちに与えられた指示であり導きです。

ローマ6:1-2はこう述べています。「それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」 自由に過ちをするクリスチャンはいません。あなたは義を示すよう召されました。それは、主の正しさの中を歩むことです。キリストにあって私たちが持っている命には罪はありません。しかし、あなたが信仰の道を歩むとき、何か過ちを犯すかもしれません。ですから、聖書は、「…御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1:7)と言っています。主は必要な時に、私たちの罪をきよめることができるプログラムを設けられました。

主が願われることは、あなたが御言葉に教えられ、義に導かれるよう御言葉に自分自身を委ねることです。御言葉を通して、あなたはすべての不義から清められていることを発見(ヨハネ15:3)し、罪から自由に生きる力を持っているからです。主を賛美します!

祈り
尊い御父よ、私に働かれる主の恵みと義の力に感謝します!私を御言葉に教えられ、義に導くように御言葉に自分自身をゆだねます。罪は私を支配ができません。私の霊には神の正しさがあり、それは私の考え、言葉、行動を通して表されています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1ヨハネ5:18) 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

(1ヨハネ2:1) 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。

(1ヨハネ2:28-29) そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。:29 もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。