The Purity Of A Christian

“こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、”(ペテロの手紙第二1章5−6節)

 神の子どもとして、あなたがいつも霊の中にある、神の素晴らしさと義を放つことは大切です。誰でもあなたの人生を見て、あなたがクリスチャンであることを簡単に気付くべきです。今日の聖書箇所に出る「敬虔」は、あなたの心の中にある義を指しているのではなく、外で見られるあなたの行動、すなわちあなたの敬虔さを指します。

 あなたの行動、態度、言葉、考え方、そして行なう方式で見られる敬虔さがあることでしょう。明確にあなたの生き方と意思疎通には、ある規律があるはずです。品が落ちる不健全な言葉を使ってはいけません。きよい言葉を使いましょう。クリスチャンは「純粋性」を持ってあり、それはあなたを通して放たれる必要があります。まことのクリスチャンには霊性があり、それがあなたを区別しています。何故なら、あなたはこの世の者ではないからです。

 あなたは神から生まれて、義の人生に招かれて生きています。あなたの人生には確かな「平穏」があり、あなたに身の振り方があるはずです。あなたにはあらさや乱暴があってはなりません。あなたに行ってはいけない場所があり、あなたがしてはいけない事があり、話してはいけない言葉があります。

 常に御言葉で自分自身を確認し、あなたの人生の中で間違ったことは何であれ、取り除きましょう。あなたの人生と義の本質に相応しい実を結び続けましょう。「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。[あなた心の変化があなたの人生の中で、明らかにされるように、](マタイ3:8AMP)」

祈り
愛する御父よ、私は父の義によって認めされ、私を通して私の世界で、言葉と行動、愛、信仰、純粋、そして清めの模範となるように区別されました。私の人生は、主の義と聖霊の純粋性(purity)の表現です。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
ローマ人への手紙6:1−4  それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。