2025年5月29日(木)
キリスト教:神聖との関係
Christianity: A Divine Relationship

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)

クリスチャン生活とは、単に礼拝したり、聖書を物語として学んだりすることではありません。それは、1日24時間、週7日、私たちに与えられた生活であり、神聖の命なのです。それは神の命、神の性質そのものであり、人間の霊に授けられたものなのです。

多くの人は、キリスト教とは何か、クリスチャンとは誰なのかという神の御言葉にある基本的な真理に触れることなく人生を送っています。それは聖書を学ばないからです。しかし、イエスは私たちに聖書を調べるように命じられました。

もし、私たちが発見すべき貴重な宝がなかったら、主は私たちに聖書を研究し、探し求めるよう指示されることはなかったことでしょう。パウロもまた、ただ御言葉を読むだけでなく、勉強するようにと勧めています。勉強しないと近づけない深い啓示があるからです。聖書を学ぶことで、私たちはクリスチャンとして、神と本当の意味で生きた関係を持っていることを知ることでしょう。それは宗教ではありません!

祈ること、献金をすること、聖書を学ぶこと、交わりに集うことなど、私たちの外面的な行動はすべて、キリスト教を定義するものではありません。真のキリスト教とは、神との実際の関係であり、そこで人は神から生まれ、神の性質を受けるのです。これは、ある特定の瞬間に起こる明確な経験です。

それは、生ける神との意識的かつ変革的な出会いであり、それなしには、外面的な行動はすべて空虚なものとなるからです。しかし、主とのこの重要な関係にあるとき、礼拝と献身のひとつひとつの行為は、とてつもない力を解放し、永遠の意味を持つのです。

祈り
愛する父よ、私を主との実際的で、まことの、具体的な、生きている関係に導いてくださったことを感謝します。私は主から生まれ、主の御霊に満たされ、主と一体であるという実在の中で日々歩み、私の神聖な性質を意識し、主の愛、知恵、力を私の世界に現します。この真理を知り、その中に生きる特権を感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(2 コリント5:17)だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

(コロサイ1:26-27)これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

(1 ヨハネ5:11-12)そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

(2 ペテロ1:4 AMPC)その栄光と徳(力)によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲[道徳的堕落、腐敗と退廃]のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。