2024年4月9日(火)
キリストは岩である
Christ Is The Rock
「するとイエスは、彼に答えて言われた、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:17-18)
主イエスは、生ける神の御子キリストであるという主ご自身のアイデンティティについて、ペテロの驚くべき啓示的洞察に応答して、上記の冒頭聖句にある驚くべき発言をされました。主が 「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」と言われたとき、多くの人がその意味を誤解してきました。
イエスは、「イエスがキリストである」というペテロの啓示のことを言われたのだと推測する人もいますが、そうではないのです! イエスは、ペテロの啓示のことを言われたのではありません。主はご自分の意思疎通において簡潔でした。主は「ペテロよ、わたしがキリストであるという啓示の上に、わたしの教会を建てよう」とは言われなかったのです。むしろ、主が本質的に言われたのは、「わたしはキリストの上に私の教会を建てます」ということだったのです。キリストが岩なのです。
このことをさらに明確にするためには、聖書の中のある預言的な意味合いに従って理解することが重要です。例えば、マタイの福音書22章41節から46節で、イエスはパリサイ人にメシアについての彼ら理解を尋ね、彼らは、キリストがダビデの子であると答えました。そこでイエスは、メシアがダビデの子であるなら、ダビデはどうしてメシアを主と呼んだのかと尋ねられました。そして、ダビデが詩篇110篇1節で語ったことを引用されたのです。「主は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。』」
聖書の他の部分を読むと、ダビデが主のことを 「岩 」と呼んでいることがわかります。例えば、1サムエル記22章1節では、ダビデはサウルを含むすべての敵から解放されたことに感謝し、主に語りかけました。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、…」と宣言しました。
そして、詩篇18篇2節でダビデは、「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、…」と述べているます。また46節では、こう続けています。「主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。あがむべきかな。わが救いの神。」
要するに、キリストは教会の土台であり、岩なのです。第一コリント10章4節には明確に記されています。「その岩とはキリストです。…」教会はペテロの啓示の上に建てられているのではなく、キリスト・イエスという岩の上に揺るぎなく立っているのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、教会が堅固な岩であるキリストの上に建てられているという啓示を感謝します。私はこの土台の上にしっかりと立ち、キリストの変わることのない、動かすことのできない、揺るぎない、断固とした、堅固な、不変の、揺るぎない真理に支えられています。教会が前進し、進歩し、主の御心を地上に、人々の心に確立していることを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(詩編18:2)主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
(1コリント10:4)みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
(詩編18:31)まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。