2022年6月2日(木)
キリストの神性
The Deity Of Christ

「このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。」(ヨハネ5:18)

イエスが本当に誰なのかを発見するまで、あなたはイエスを知っているとはいえないのです。イエスはアドナイ(Adonai)であり、主なる神です!これについての考えは、私たちを驚かせます。ユダヤ人たちがイエスを受け入れるのに苦労したのも不思議ではありません。彼らは、イエスが神をご自分の父と言ったので、彼自身を神と等しくしたと非難しました。

ユダヤ人たちは、誰かが「神は私の父である」と言うとき、それは神がその人を産んだという意味ではないことを知っていました。なぜなら神は霊であるためです。彼らはイエスご自身が人間の現れにおいてアドナイであると、イエスが言われていることを理解していました。ヨハネ10章30節で、イエスはもう一つ驚くべき宣言をされ,彼らはさらに怒りました。イエスは「わたしとわたしの父とは一つである」と言われました。これは言い換えれば「私たちは一つであり、同じものである。あなたがわたしを見たなら、父を見たことになる」ということなのです。

そこで、ユダヤ人たちは極めて怒って、石を取り上げイエスに投げつけようとしました。しかし、イエスは彼らをさえぎって言われました。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか」。ユダヤ人たちは答えました。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです」(ヨハネ10:32-33)。

イエスにかけられた二つの罪状に注目してください。最初の罪状は神への冒涜で、イエスが神をご自分の父であると言われたからです。もうひとつは、強盗の罪状です。 人でありながら自らを神とされたからです。そのため、イエスは強盗たちと一緒に処刑されたのです。しかし、聖書はピリピ2章5-6節で述べています。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで」

この箇所は、イエスがご自分を神と等しいであると宣言されたため、イエスを泥棒であると定められたユダヤ人の告発に対する直接的な反論です。イエスは神の形であられていたので、神と等しいであることが、神から奪っているとは思わなかったのです。「形」とは 、ギリシャ語の「モーフ(morphe)」で、「性質」を意味します。つまり、イエスは神の本質そのものであったのです。イエスは人のように見えましたが、神の形をとっておられました。要するに、イエスは神なのです!これは、イエス・キリストの神性について、新約聖書の中で最も巧妙に語られていることの一つです。イエスの神性への主張は正しいのです。

祈り
主イエスよ、主は栄光の大いなる神であり、神性を完全に体現された方です!主の聖なる人格を私に明らかにしてくださりありがとうございます。私の人生とすべての被造物に対する主の支配権と統治権を賛美します。主はいと高き神であり、主だけがすべての賛美、礼拝、敬愛に値します。アーメン。

参照聖書
(テトス2:13)祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。

(第一テモテ3:16) 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」

(コロサイ1:15-19)御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、

(コロサイ2:9)キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。