2022年7月2日(土)
キリストの日
The Day Of Christ

「霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。」(第二テサロニケ2:2)

今日の御言葉にある「キリストの日」という表現は、多くの人が一般的に「終わりの日」を意味すると誤解しています。教会の携挙、キリストの再臨、そしてキリストの日は違います。「キリストの日」とは、裁きから始まる千年王国を指しています。これは、黙示録20章11節の大きな白い御座の裁きや、第二コリント5章10節のキリストの裁きの座ではありません。「キリストの日」とは、キリストの再臨の時、敵に対する裁きで、千年王国の支配を始まる直前に現わすことなのです。

その特別な日に、主イエスは天から現われ、この世を支配するために来られるのです。主イエスが現れると、終わりに至った世はハルマゲドンにあって、主イエスと聖徒に対抗して直ちに団結しますが、これらの敵と主を拒む者はすべて滅ぼされるのです。「ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ」(ルカ19:27)。第二テサロニケ1章7-9節もまたこのように述べています。「… 主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです」。

しかし、キリストの偉大な日の前に、聖書は背教があると言っています。クリスチャンであると公言していた多くの人々が信仰から離れるでしょう。「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり…」(第二テサロニケ2:3)何がそのような背教をもたらすのでしょうか。

それは、この世の煩い、すなわち富の欺きと快楽への欲望です。ですから、聖書は「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません…」(第一ヨハネ2:15)と言っているのです。キリストの日が近づくにつれ、あなたはつまずかないように、キリストの中でますます強く生きていくことが大切なのです。

この世のものに執着してはいけません。主に、そして主が天から現われるその日に、あなたの焦点を合わせてください。私たちは皆、主のもとに集められ、いつも主とともにいるようになるのです。いかにすばらしい日になるでしょうか。

告白
キリストの愛と御言葉、そしてキリストのちかづいている再臨という期待によって、私の人生は導かれています。今日私は、キリストの義の中に確立され、霊において目覚めています。私が福音を伝えるとき、私を通して今日多くの人々が暗やみから神の子たちの栄光ある自由へと導かれるのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第一コリント1:8)主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

(マタイ13:41-43)人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。