2022年6月25日(土)
キリストの中にある同じ権利
The Same Rights In Christ

「…男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ 3:28)

世界のあるところでは、女性が説教をしてはいけないと言われています。しかし、聖書はそんなことは言っていません。むしろ、聖書は、新しい被造物として、私たちは皆、イエス・キリストのうちに一つであると言っているのです。律法には、男にはあって、女にはない権利がありました。しかし、今は、キリスト・イエスにおいて、私たちは皆、一つなのです。ハレルヤ。

つまり、律法にあったものとは異なり、女に対する制限がないことを意味します。キリストにおいて男と女の違いが出てくるのは、彼らが結婚している場合だけです。聖書は、妻を夫とは別に扱っています。しかし、男と女が未婚である限り、キリストにおいて同じ権利を得ることができます。

誰かが「新約聖書には、『 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい』(第一テモテ2:12)と書かれていますよ。この聖句はクリスチャンの女性のことではないでしょうか?」もしあなたがこの聖句を文脈から読むと、その御言葉は既婚者に指していることがわかるでしょう。その次の節にはこう言っています。「アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです」(第一テモテ2:13)。これは結婚という文脈で見ていることが分かります。

さて「妻は夫に教えてはいけない」とありますが、実際の表記は自分の夫に「指示する」「命令する」という意味を持っています。妻が夫にある知識を説明したりアドバイスしたりしてはいけないという意味ではないのです。また、預言者ヨエルが書いた終わりの時のことを思い出してください。「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る…」(ヨエル2:28)。

預言するということは、神の御国から来た権威ある言葉を語るということです。もちろん、彼らは自分だけに語るのではなく、学んだことのない人たちにも語るでしょう。つまり、学ばない人に御言葉を教えるのです。したがって、あなたが男であろうと女であろうと関係なく、どこへでも福音を宣べ伝えるために出かけてください。力強く御言葉を宣べ伝え、だれにも自分の無知からあなたを邪魔させないようにしてください。伝道者ピリポの四人の娘は預言しました。「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。」(使徒21:8-9)

告白
私は自分が誰であるか知っています。私はアブラハムの子孫であり、この命にあって支配し統治しています。私はキリストの中にいるので、制限がなく、誰にも止められずに毎日この意識の中で歩んでいます。私はキリストとの共同相続人であり、それゆえ、すべてのものは私のものです。

参照聖書
(ガラテヤ3:26-29)あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

(ガラテヤ6:15)割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。