2023年8月21日(月)
キリストにつくバプテスマを受ける
Being Baptized Into Chris
「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27)
クリスチャンの中には、聖霊の中で洗礼を受けることと、聖霊を受けることが同じことだと誤解している人がいます。聖書によると、この2つのことは同じではありません。それらの2つは異なる経験なのです。
あなたがキリストのもとに来て、永遠の命を受けるとき、実際に経験する最初のことは、バプテスマを受けて、キリストの中へ浸されることです。パウロはこのことを、2コリント5章17節で、鮮明に捉えています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
ですから、キリストのうちに、あるいはキリストのうちに生まれるということは、つまり新しく造られるという事です。あなたはキリストにある新しい人なのです。この最初の経験は、聖霊があなたをキリストの中に受け入れるときに起こることです。「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、…。」これが新しく生まれること、つまり生まれ変わることです。
第一コリント12:13節の後半の続きは、二番目の経験であり、聖霊をあなたのうちに宿らせることについて言及しているのです。「…そしてすべての者が一つの御霊を飲むものとされたからです。」これは、聖霊を受けてあなたのうちに宿らせ、キリストのからだの中で、聖霊とひとつになることです。(1コリント6:17、ヨハネ7:37-39)
聖霊を受けることは、最初の経験に続く別の経験です。例えば、ペンテコステの日に弟子たちは新しく生まれ、それと同時に聖霊を受け、聖霊は彼らの内に住まわれました。
今日、多くの人も同様の経験をしています。彼らは生まれ変わるとすぐに聖霊を受けます。しかし、必ずしもそうとは限らないわけです。例えば、使徒の働き19章で、使徒パウロはエペソで何人かの弟子たちに出会い、彼らが信じたときに聖霊を受けたかどうか尋ねました。
彼らは、聖霊についてさえ聞いていないと答えました。ですから、パウロがエペソで出会った弟子たちのように、ある人々は生まれ変わり、聖霊を受けるまで待つ期間が必要かもしれません。彼らは聖霊と聖徒における聖霊の働きについて知らなかったからです。
使徒パウロも、ダマスコへの道中でキリストを受け入れ、新しく生まれましたが、3日後にダマスコの弟子アナニヤが来て手を置いたときに聖霊を受けました(使徒9:9-11、17)。
ですから、新しく生まれるとは、実際には聖霊、キリスト、そして神へのバプテスマを受けることなのです。使徒ヨハネは、それを「神はあなたのうちにおられる」と言い、「あなたも神のうちにいる」と区別しています(1ヨハネ4:15)。使徒パウロの表見も同じです。パウロは新しく生まれることによって始まる「キリストのうちにいる」ことと、明らかに聖霊を受けたときに始まる「あなたの中におられるキリスト」のことを区別しているのです(2コリント5:17、コロサイ1:27)。
告白
愛する父よ、私の内に住んでおられる聖霊に感謝します。聖霊は私を知恵と栄光と恵みで満たし、キリストにあって勝利の人生を生き、父の義を示すための神聖な力を私に授けてくださいました。私はキリストと切り離すことのできない一体となり、キリストのうちに生き、動き、存在するのです!私はキリストの栄光と神性を体現し、表現しています。神に栄光をささげます!
参照聖句
(1コリント12:13)なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
(使徒の働き17:28)私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。
(ガラテヤ3:27)バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。