Self Sufficient In Him
「父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。」(ヨハネ16:15)
出エジプト記3章で、神がモーセに現れ、イスラエルの子孫たちをエジプトから救い出させようと言われたとき、 モーセは神に申し上げました。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」(出エジプト記3:13)。続く14節で、こう述べています。「神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
神は「わたしの名は、『わたしはある。』という者である。」と言わなかったことに注意してください。それは神の名ではなく、神がどんなお方であるかの説明です。神は自給自足で、自ら存在するお方です。神はご自身からすべてを創造されました。神は何かをするためにどこからでも資料を必要としません。聖書は、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)
ここで簡単に見落とされがちな重要な事実は、神があなたに期待しているということです。神はあなたに何になってほしいと思っていますか?神はあなたをどんな存在で造られましたか?数年前、私はメッセージを説教するとき、こう述べました。「あなたがあなたの存在について言わなければ、他の人はあなたをそういう人ではないと言うでしょう。ですから、あなたは必ずあなたがどんな人であるかを言わなければなりません。」あなたがどんな人なのか話すというのが、何の意味ですか。 それは神が「わたしは、『わたしはある。』という者である。」と言われたのと同じです。
あなたは、神の似姿に造られていることを忘れないでください。したがって、主のように、あなたも必要とするものは何でも外からではなく、あなたの中から造り出すでしょう。今日の本文で、イエスは言われました。「父が持っておられるものはみな、わたしのものです。…」(ヨハネ16:15)。これと同じイエスが私たちにすべてを届けました。聖書は、私たちはキリストと共同相続人であると述べています(ローマ8:17)。絶対的な成功、勝利、支配、栄光、義の生活のために必要なものはすべて、すでにキリストにあってあなたに与えられました。
イエスはなぜそのように言われましたか?イエスはご自身が誰であるかを知っていたからです(「わたしは、『わたしはある。』という者である」)。主は欠乏の意識がありませんでした。主は私たちが主とまったく同じように造られているという同じ理解に達することを望んでいます。私たちは主の反映で、つまり主のアイコンであり、栄光です!キリストにあって、あなたは自給自足です。
告白
私は神の形と似姿で創造されています。私は自給自足しています!ですから、私たちもこの世にあってキリストと同じような者です!完全な成功、勝利、支配、栄光、義の生活に必要なものはすべて、すでに私の中にあります。私は今日、そして常に勝利を収めて歩んでいます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(2コリント9:8) 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
(使徒17:28) 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
(2コリント3:5) 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。