In Christ We Have No Needs
「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)
主イエスのように、使徒パウロには欠乏の意識がありませんでした。キリストにあって新しい被造物である私たちが、神の相続人であり、キリストとの共同相続人となった、その福音のメッセージをパウロはよく理解していました。私たちには不足しているわけではありません。ところで、なぜパウロは、「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)と語ったのでしょうか? パウロは霊的に幼い子に言ったことです。
パウロはその祈りに自分自身を含めませんでした。パウロは、「私の神は、私の必要をすべて満たしてくださいます。」と言っていません。あなたが成長すれば、キリストにあって私たちに満たされていないものがないことに気づくでしょう。マタイ6:33は語っています、「…神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 あなたが、神の国をまず第一に求めるなら、あなたの願うすべての良いものを加えて与えるでしょう。あなたは異邦人が求める名声、金銭、表彰を追求する必要はありません。すべてはあなたが受け継いだ王国の中に、パッケージ化されています。
イエスの言葉を思い出してください。イエスは、ルカ12:32で、「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」と言われて、それを成し遂げられました。ルカ17:21で、「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」と言われました。あなたが王国を所有しているなら、あなたはすべてを持っているでしょう。2ペテロ1:3で、ペテロがこう叫んだのも不思議ではありません。「というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」 神がほめたたえられますように! これに対して、パウロも同様に、1コリント3:21で驚くべきことを告白しました、「すべては、あなたがたのものです」
あなたの人生で、必要と考えるものを見ないで、むしろ、神がキリストにおいてあなたに既に惜しみなく提供されたものを見てください。あなたはキリストとの共同相続人で、すべてのものを所有しています。すべてはキリストのものであり、私たちはキリストと一つです。私たちは、主イエス・キリストとの交わりに入れられました(1コリント1:9)。これが真実であるならば、あなたは世界で他に何が必要でしょうか? あなたの人生で、神の言葉を宣言してください。キリストはすべてのものはあなたのものだと言われました。同じことを宣言し、それに応じて生きましょう。神をほめたたえます!
告白
私は神の相続人であり、キリストとの共同相続人です。ですからすべてが私のものです。私はキリストにある神聖な相続の立場にいます。そこは何も欠けていない富の位置です。神に栄光がありますように!
参照聖書
(詩編34:10) 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
(1コリント3:21-22) ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。