2024年3月16日(土)
キリストにあって歩む
Walking In HIM
「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。」(コロサイ2:6)
冒頭聖句は、キリスト・イエスにあって歩むことを勧めています。あなたはどのようにキリストにあって歩むのでしょうか? キリストはどんな方でしょうか? 聖書は、キリストは生ける、受肉した御言葉であると言っています。 また神の言葉は光です。(詩篇119:105)従って、主のうちを歩むとは、御言葉のうちを歩むことであり、神の言葉の光のうちを歩むことなのです。
考えてみてください、あなたはキリスト·イエスをどのように受け入れましたか? あなたは信仰によるものであり、信仰とは御言葉の中を歩むことなのです。神の言葉はあなたの命であることを忘れないでください。あなたは御言葉から生まれました。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(1ペテロ1:23)ですから、御言葉の中で、御言葉によって、御言葉を通して生きることは自然なことなのです。
イザヤ書2章5節には、「来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」とあります。主の光に歩むとは、主の御言葉の中で歩むことなのです。御言葉は神であり、1ヨハネ1章5節に神は光であると述べています。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」
あなたは、キリストにあって歩むと同時に、闇の中を歩むことはできません。闇とは、制限し妨げるもの、悪のすべてを表しています。イエスはこう言われました。「…わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)ハレルヤ!
主のうちを歩むとき、あなたは主の命、主の栄光を毎日体験するのです。また永遠に勝利し、繁栄し、健康に歩むのです!聖書は、神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩むべきだと言っています。(1ヨハネ1:7)神を褒めたたえます!
祈り
主は私の光であり、救いです。主にあって、私は永遠に安全です。私は主のうちに生き、動き、存在します。主の御言葉は真実であり、決して失敗しません。悪の力は私の前で服従するので、私は永遠に勝利します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(コロサイ1:26-27)これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
(コロサイ3:1-4)こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。
(1ヨハネ1:7)しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。