Crucified With Christ
「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。」(コロサイ3:2-3)
幼いクリスチャンとして育ちながら、私はキリスト教の生活の真の本質として「エゴを殺すこと」という概念を強調した聖書学者からさまざまな資料を研究しました。 彼らは、神を喜ばせたり、神に集中させるためには、必ず「自我(エゴ)の死」の過程を経ることを教えました。
しかし、私は聖書を研究していると、コロサイ人への手紙3章で、パウロの霊感のあるものを出会いました。それは、すでに私たちは死んでおり、私たちの命はキリストと共に神に隠されているということでした。それが私にとってすべてを変えました。「エゴを殺す」必要はありませんでした。私たちはすでに死んでいました。したがって、私たちは、神に仕え、私たちの心と考えを霊的な事柄に置くために、再び「死ぬ」必要はありません。私たちは望みを向けることによって、義の新しい創造物として、これらを自然に行うことができます。
あなたは神の御業についてあなたの心の訓練ができます。一部の人々は、霊的な活動に参加するに困難と思っていますが、あなたはそうではありません。あなたは主に肯定しているために、祈りを喜び、教会を通い、御言葉を学び、黙想することが大好きです。あなたはこの世に対して死んでおり、この世もあなたに対して死にました(ガラテア6:14)。これがキリストにおけるあなたの新しい命です。今、この命を生きましょう。
コロサイ3:3は、あなたが世について、エゴについて死ぬべきだと言っていないことに注意してください。むしろ、「あなたがたはすでに死んでおり…」(コロサイ3:3)と言っています。つまり、あなたは完全に新しい人であり、かつて存在したことのない新しい種族(2コリント5:17)なので、キリストと共に死んで、この世の幼稚な教えから離れた(コロサイ2:20)ということを意味します。
あなたは、罪の影響力について死んでいます。ですから、「肉について死ぬために」断食をしたり、神を喜ばせるために、 自我を殺すための祈りに時間を費やしたりするのは間違いです。あなたのすべきことは、あなたの心を神と御国へ置くことです。あなたの心を尽くして神を愛し、世界の何よりも御霊の働きがあなたにとってより重要になるようにしてください。
告白
主は慈しみで親切です。主は最も深い愛の方です。私は心からそして情熱的に、私の霊で主に仕え、罪とその破壊的な影響を超えて、御言葉の中に生きています。私は、キリストの栄光と義において行動します。私は命と不滅、喜び、健康、平和、繁栄、そして豊かさの中で歩きます。イエスの御名で告白します。アーメン。
参照聖書:
コロサイ3:1-4
コロサイ2:20