2024年12月27日(金)
イエス—神の満ち満ちた性質が肉体の形で存在する方
Jesus—The Fullness Of Deity In Bodily Form
「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、」(コロサイ1:19)
父、子、聖霊は永遠に存在し、イエスのうちに現わされています。三位一体の各人格は明確な人格を持っています。しかし、イエスは神性の体現者であり、父、子、聖霊の完全性を包含しています。コロサイ1章19節ではこう言っています。「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、」。コロサイ2章9節ではさらにこのことを強調して言っています。「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」
つまり、神の全存在、神性のすべてが、肉体をもってイエスの中に宿っているのです。父、子、聖霊が一つのからだの中におられるとしたら、それはイエスの中におられるのです。ヘブル1章1~3節には、こう書かれています。「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。…」
言い換えれば、イエスは父なる神の正確な複製であり、現れであるのです。イエスは、ヨハネの福音書14章10節でこう語っています。「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、…」これは、イエスが御父の現れであるという考えを補強しています。あなたがイエスを見るとき、あなたは父を見るのです。イエスは父の人格と本質を体現しているのです。「…わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14:9)
1テモテ3章16節はそれを見事に要約しています。「確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。『キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。』」この節で「御使いたちに見られた」と書かれていることに注目してください。父なる神の姿を見たことがなかった御使いたちは、イエスが来られたときに初めて父なる神を見たのです。イエスは、目に見えない神を天の存在にさえ見えるようにし、三位一体の深い神秘と威厳を示されたのです。神を褒めたたえます!
祈り
愛する父よ、イエスのうちに、神の完全性、力、神性のすべてが宿っておられるという啓示を感謝します。イエスのうちに神性の完全性、能力、属性の充満が宿り、イエスは目に見えない神の現れです。イエスは、祝福された唯一の権能者であり、王の王、偉大な神で、私たちの救い主イエス・キリストです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(コロサイ2:9)キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
(へブル1:3)御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
(ヨハネ14:5-11)トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。