2024年1月11日(木)
イエス・キリスト—神の姿
Jesus Christ—The Profile Of God
「イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」(ヨハネ14:9)
上記の言葉は、主が弟子の一人であるピリポが「父を見せてください」と尋ねたときの返答の一部として、主から直接発せられた言葉です。イエスは言葉を濁すことなく、明確に言われました。「わたしを見た者は、父を見たのです。」言い換えれば、「わたしは父の姿である」ということです。
聖書は、イエスは目に見えない神のかたち(icon)であると教えています(1コリント4:4、コロサイ1:15)。つまり、イエスは神の似姿であり、視覚的表現されたもので、神の形なのです。神がどのようなお方か知りたいなら、イエスがその人物像なのです。イエスは神性の特徴、描写、性質をすべて備えておられる方です。
これは、ヘブル1章3節にある「御子は神の栄光の輝き、また神の『本質の完全な現れ』であり、」という言葉に似ています。ここでは、「キャラクター(charakter)」(ギリシャ語)が 「本質」の単語として使われています。その意味は、複製、印刷という意味です。イエスは神の写本と同じです。これは驚くべきことです!
聖書は、イエスのうちに神の満ち満ちた性質が形をとって宿ると言っています(コロサイ2:9)。御父は御心によって、満ち満ちた神の本質を御子(イエス)のうちに宿らせることを喜ばれました(コロサイ1:19)。ヨハネの福音書10章30節で、イエスが「わたしと父とは一つです。」と言われたのも不思議ではありません。
イエスを見るなら、父と聖霊を探す必要はありません。イエスは神聖の御姿の完全な現れであり、形なのです。イエスは神の栄光、誉れ、威厳の現れなのです。イエスの御名が永遠に祝福されますように!
祈り
愛する父よ、私は、神の神聖な本質の「写本」であるイエス・キリストのうちに現された父の栄光、誉れ、威厳に畏敬の念を抱いています。イエスは御父の人格と本質に対する完全な表現です。主イエスは神性の美であり、御父の完全な現れです。私は主に礼拝し永遠に崇めます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(コロサイ1:12-19) また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
(へブル1:1-3)神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
(ヨハネ10:30-38)わたしと父とは一つです。」31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」34 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、あなたがたは神である。』と書いてはありませんか。:35 もし、神のことばを受けた人々を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、:36 『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。37 もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。38 しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」