2022年9月17日(土)
イエス・キリストは偉大な神である
Jesus Christ Is The Great God

「というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。」 (テトス2:11―13)

神の御言葉は、イエスが大いなる神であるという、議論の余地のない証拠に満ちています。イエスは私たちの偉大な神です! 悲しいことに、この真実に至っていないクリスチャンがいます。それで、彼らは実際にイエスが神であるならば、どうしてイエスはご自身を神の子であると言っているのか疑問に思っています。「神の子」という表現は、人間の肉を持った神という意味です。 

イエスは肉において現れたとき、ご自身の栄光を捨てて、百パーセント人間であり、百パーセント神であられました。それが、私たちに代わって身代わりになってくださった合法的な理由です。そうでなければ、イエスの贖いは疑問が残ったかもしれません。聖書にはイエスをこう述べています。「… ご自分を無にして…人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」

イエスは目に見えない神のかたちであり、神の完全な現われです。(コロサイ1:15、ヘブル1:3)。ハレルヤ! ところで、人として来られる前のイエスは何方だったのでしょうか。イエスは御言葉、つまり神の言葉でした。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ1:1)。そして、14節には「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた…」とあります。神であった御言葉は肉となり、イエスと名付けられたのです。ハレルヤ!

ヨハネ10章30節で、イエスは「わたしとわたしの父は一つである」と言われました。イエスがそう主張したとき、ユダヤ人たちは石を拾い上げ、イエスにを殺そうとしたと聖書には書かれています。彼らはイエスが言われたことを理解したからです。彼らは「… 良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです」(ヨハネ10:31-33)と言いました。イエスはご自身を神としたのではなく、イエスは神であったし、今も神そのものなのです。

ヨハネ14章7節で、イエスはこう言われました。「あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」彼らが知り、見ていた父と同じである方は誰でしょうか。イエスです! 続く8節でピリピが疑いを表したとき、イエスの応答は、最も明白な方法で議論を盛り上げたのです。「…ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:8-9)。ハレルヤ!

祈り
祝福された主イエスよ、素晴らしい栄光の天地の主であり、主だけが神です、私は主の偉大さを賛美し、主の聖なる御名をほめたたえます。主の御国は永遠にあり、主の支配は永遠に続きます!主の栄光、誉れ、威厳、支配、賞賛が永久にあなたにありますように。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ1:10-11)この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

(へブル1:3)御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

(テトス2:11-13)というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。

(コロサイ1:15-19)御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、