イエスの見習いに感化される
Be Inspired By His Example
「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」(エペソ5:1)
イエスの人生と教えのあらゆる側面に関して、イエスが行われたこと、イエスが語られた言葉、イエスが行われた奇跡、イエスが変えられた人生を探るとき、あなたはイエスを見習い、感化されるでしょう。誰も主のように言われたことがありません。イエスの言葉は、イエスの信仰、希望、愛を示すだけでなく、聞く人にも同じものを与えたのです。
ヨハネ10章30節でイエスは「わたしと父とは一つです」と言われました。また、別のときには「… わたしが来たのは上からです…わたしはこの世の者ではありません」(ヨハネ8:23)とも言われました。イエスが地上におられたとき、祭司長やパリサイ人たちは、イエスの影響力の高まりを心配して、イエスを捕えるために役人たちを送りました(ヨハネ7:32)。しかし、役人たちはイエスを連れてきませんでした。すると、彼らに祭司長たちが質問したところ、興味深い答えが返ってきました。「あの人が話したのを聞いたことがありますか、あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」(ヨハネ7:46 MSG)
イエスがどのように話し、どのように奇跡を起こしたのかを考えてみましょう。イエスは夜通し働いても魚が捕れなかったペテロたちに「… 深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」(ルカ5:4)と言われました。彼らが網を投げたところ、魚が大量に集まり、魚を岸に上げるのに大変苦労しました。主の言葉がもたらした奇跡なのです!
聖書には、主が言葉を語ることによって、少年の持っていた昼食を増やし、大勢の人々に食べさせたことが記録されています。主は5つのパンと2つの魚の上に倍増させる力を与え、それらは5千人の男性と数えられていない女性や子供に食べさせるほど以上の十分な量になりました(ルカ9:12―17)。
ルカ7章11-17節では、イエスが言葉をかけられて、死んでかつぎ出されていた死人(やもめとなった母親の一人息子)を生き返らせました。死んでから4日も埋葬され、腐敗していたラザロはどうでしょうか。ラザロの墓の前でイエスが言葉を語られ、ラザロは生き返りました。なんと驚くべきことでしょうか。(ヨハネ11章の全体の内容を読んでください)。
このようなお方がまさに私たちが仕えるイエスです。イエスは他の誰かと違う言葉を使い、絶望的な状況を変えたのです。イエスのように話しましょう。主は「わたしは父の御言葉を話します」と言われました。ですから、イエスのように、父からの言葉を語り、キリストの言葉を語りましょう。ハレルヤ!
告白
私は命、癒し、力そして勝利の言葉を語ります。私の言葉は、回復し、癒され、築き上げ、祝福します。神の愛、優しさ、恵み、知恵、栄光は、私の中に、そして私を通して、私の世界に現れます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第一コリント11:1)そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
(第一ペテロ2:21-23)あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。