Loving Jesus

「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。」(Ⅰコリント16:22)

主イエスは言われました。「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ14:15)この御言葉の意味は、あなたがイエスを愛するという証拠は、イエスの戒めを守ることだという意味です。さらに、今日の本文箇所は、主イエス・キリストを愛さない人はだれでも、「呪われる(アナテマanathema:キリシャ語)」と言っています。イエスを愛することは議論の対象や妥協の対象ではありません。選択することでもありません。それはあなたがすべきことなのです。

イエスは、天の冠であり、この全地の喜びです。宇宙のすべてがイエスを中心に動いています。イエスは、神の愛が具体的に現れ方であり、最も完全な啓示です!父は、イエスの中で、神ご自身と神の愛を現されました。イエスを通してご自身の愛を現す以上の良い方法はなかったからです。イエスは、御父の心の喜びなのです。神が行われたすべてのものが、イエスにぐるぐる巻き込まれています。これが、あなたが、イエスを心に尽くして愛するべき理由です。誰かが、「どうして目に見えないイエスを愛することができますか?」と質問するかもしれません。

これに対してイエスは、すでに答えられました。「わたしを愛するなら、わたしの戒めを守るはずです。」 したがって、イエスを愛することは、御言葉を通して行われます。イエスは私たちの心を支配し、御言葉を通して生きておられます。だから、イエスを愛することは、御言葉を愛することであり、御言葉の通りに生きることです。ある人が言いました。「私は神を信じ、神を愛します。でもイエスを信じません。」 これは矛盾です。なぜなら、聖書はこのように言っているからです。「だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。」(Ⅰヨハネ2:23) もし、あなたが天の父を愛するなら、御子をも愛さなければなりません。

あなたが神を愛しているという証拠は、イエスへの愛の実行によってわかります。主の言葉を愛すること以外に、主に対する愛を証明できるよりすばらしい方法はないのです。主へのあなたの愛は、あなたがささげる賛美と礼拝やあなたの行動でも現さなければなりません。主へのあなたの愛が、あなたの人生の中で最も大きな魅力と特別な位置づけでなければなりません。

祈り
愛する主イエスさま、私は主を愛します。私のための主のすべての御業を感謝します。私は、私の人生に与えられた主の栄光を認識して賛美します。私に永遠の命をくださり、永遠の愛をもって私を愛してくださり感謝します。主は私のすべてです。主だけが、すべての賛美、栄光、名誉、称賛に永遠に価します。アーメン。

参照聖書
ローマ5:5  この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ヨハネ14:21-23  わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」 22 イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」 23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。