2025年5月9日(金)
イエスは神のメッセージ
Jesus Is God’s Message
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)
冒頭の聖句の「ことば」は「ロゴス(Logos)」(ギリシャ語)です。ロゴスは、言論、アイデア、思考、メッセージを含む、より一般的な用語です。「ロゴス」で重要なのは、そのメッセージの内容です。「私はあなたにメッセージを送りました」というのは、あなたが言葉を送ったという意味です。
ヨハネの福音書1章の最初の節から14節までを読むと、イエス・キリストが神の「ロゴス」であり、神のメッセージであることがわかります。神のすべての思い、考え、意見は、イエスに包まれて、要約されているのです。イエスは神の思考の表れなのです。イエスこそ、御父の心の表れなのです。神の考えを知りたければ、イエスがその表現者なのです。ハレルヤ!
ヨハネの福音書1章9節から11節には驚くべきことが書かれています。「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」神のことば、つまり、神のメッセージが世に現れたのです。神はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は神を受け入れませんでした。神はどのようにして来られたのでしょうか?
イエスは、モーセ、サムエル、エレミヤ、イザヤ、エゼキエルなどの預言者たちを通して来られましたが、世は主の言葉を受け入れませんでした。そして、聖書は言っています。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14 NIV)。神がなさったことを見てください!言葉は人となられたのです。その方がキリスト・イエスです。
イエスが来られる前にも、神のメッセージを受け取り、いつか死者の中からよみがえり、永遠の命を得られると信じた人たちがいました。アブラハムは信じました。ダビデも信じました。預言者たちはそのことを語り、その日が来ることを知り、それを信じました。御使いはダニエルにもこのメッセージを伝えました。御使いは、永遠の祝福にあずかる者と、永遠の罪に定められる者について語りました。(ダニエル12章)
ことばは人なって私たちの間に宿られました。これは驚くべきことです。モーセが燃える柴から聞いた声、モーセが神からイスラエルの子らに書き送ったメッセージ、預言者たちの書物、これらすべてが人となって人々の前に現れたのです。その名はイエス、すなわち生ける御言葉なのです。イエスの御名に永遠に栄光をささげます。
告白
祝福されたイエスよ、主は偉大であり、大いに賛美されるべき方です。主は肉体を持った御言葉であり、神の完全な存在であり、神の思い、考え、意見の表現です。主は永遠の命であり、人間に現されました。主は御父の心臓、御父の義、愛、恵み、いつくしみ、憐れみの啓示です。主は永遠の神の言葉であり、私は今も昔もいつも主を愛します。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ 1:9-14)すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(1 ヨハネ1:1-3)初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。