He’s The Son Of God Indeed

「…わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか」(ヨハネ14:8-9)

まだイエスが本当はどのような方だったのか、理解していない人がいます。その人にとっては、イエスはただの偉大な宗教指導者です。しかし、イエスは単なる宗教指導者でも改革者でもありません。イエスはまさに神ご自身です。この事実を悟るためには、神のみことばを勉強しなければなりません。ヨハネ5:39では、イエスは、「良く調べなさい。聖書は私について証言しているのです。」と言われました。聖書は、イエスを神であられ、神と同等の方だと証言しています。ヨハネ1:1は語っています。「 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」 この御言葉はイエスについての証言です。イエスは生きておられ、御言葉が肉となったのです。

ある牧師が、日曜の朝に、教会に来た教授の話をしてくれました。説教の後、その教授は、その牧師の下に挨拶に来たので、牧師は、「礼拝はお楽しみいただけましたか?」と質問しました。すると、「はい。楽しみました。しかし、私はあなたが語ったことを本当に信じてはいません。」と答えました。驚いて、牧師は尋ねました。「私が語った言葉で、どの部分が受け入れ難かったですか?」 すると、「そうですね。全部です。」と教授は答えました。

牧師は教授に聖書を渡してこう言いました。「家で、自ら勉強をしてみてください。聖書を全部詳しく読んでいただいてから、また話しましょう。」 教授は、家へ帰り数週間かけて聖書を読みました。創世記から黙示録まで読んでから、また牧師と会う約束をしました。そして、教授は牧師に会い、第一声に、「牧師先生、イエス・キリストは、神ですね!」と告白しました。

教授は続けて言いました。「あなたが私に自ら聖書を勉強するように言ったので、その通りにしました。創世記から黙示録まで読んでみて、私はさっき言った結論に至ったのです。イエス・キリストは神です。」教授は、真実を見つけたのです。神に栄光がありますように!イエスは言われました。「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:30) 今日の本文でも、イエスは、「わたしを見た者は、父を見たのです。」と言われました。イエスが、御父と一つであり、それは、「神の子」という意味なのです。

神の子とは、単純に神から生れた者を意味するのではありません。神の性質と一体であることを意味します。あなたの人生で、イエスご自身が神であるということを認識するにまで至りました。聖書は、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ1:19、2:9)と宣言されています。イエスは、神の本質が完全に現れた方なのです。ハレルヤ!

祈り
愛する主イエス様、私は主の偉大さを礼拝します。主は偉大な王であり、宇宙の統治者であり、全能の神様です。主がそのような方で、主に尊敬します。神様の完全さと能力と特性の全てが永遠の主にとどまっています。私の霊に主の本質と命を持って生まれたことを感謝します。この驚くべき特権により、主に礼拝します。アーメン。

参照聖書
ヨハネ1:1-5 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 2 この方は、初めに神とともにおられた。 3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

マタイ16:15-17  イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。

ヨハネ20:27-29 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」 29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」