2022年10月3日(月)
イエスはすべての人のために裁かれた
He Was Judged For All Men

「…今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

今日の御言葉で「罪に定められること」と訳されている言葉は、「裁き」という意味もあります。ある人はそう思わないかもしれませんが、裁きは神のご計画の一部であり、含まれているのです。聖書は、人間に対する二つの主な裁きを明確に示しています。一つ目は、主イエスが人類の罪のために十字架上で裁かれた時に起こりました。もう一つは、裁きの日、大きな白い御座の前で行われます。

多くの人は、後者のほうをよく知っています。ローマ8章1節によると、私たちは二度目の裁きを受ける必要はありません。人はイエスがカルバリの十字架上で自分のために裁かれたという真理を受け入れることによって、神の義を手に入れることができるのです。イエスは私たちの罪のために「いけにえ」となり、その死によってすべての対価を支払ってくださったのです。

ローマ3章24節から26節によると、私たちはキリスト・イエスにある贖いによって、神の恵みで義と認められたのです。「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです」神に祝福がありますように。

イエスが墓の中にとどまることなく、三日目に復活されたことを感謝します。今日、イエスを信じる人は誰でも、あらゆる罪から義とされ、裁きから切り離されるのです。ハレルヤ! 主が私たちのために成し遂げてくださったことは、罪の赦し以上のものです。イエスは、私たちを新しい命に導き、私たちは今、新しい性質を持っています。ハレルヤ!

これが福音なのです!「もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです」(ローマ5:17)。今、人は誰でも大胆に恵みの座の前に出て、憐れみを得ることができます(ヘブル4:16)。しかし、いつか、遠くないある日、その恵みの御座は、キリスト・イエスにある救いを拒んだ者たちの「裁きの御座」となるのです。そのため、主は彼ら(イエスを受け入れていない者)の救いのために、代価が既に支払われたことを世に知らせるため、私たちを遣わしたのです。すでにイエスは彼らの身代わりに裁かれたのです。

祈り
義なる父よ、イエスが世の罪のための「いけにえ」となり、その死によって罰の対価を完全に支払われたことを知ることは、なんという喜びでしょうか。今、私は、イエスが私のために十字架上で裁かれたという真実を受け入れることによって、主の義を手に入れました。私は神の愛する御子の王国に属し、その中に住んでいるので、この暗やみの世界に働く滅びや裁きから完全に移されているのです。アーメン。

参照聖書
(ローマ4:25)主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

(ヨハネ3:16-17)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。