2024年8月12日(月)
イエスはすでに上げられた(Lifted)
He’s Already “Lifted”

「『わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。』イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。」(ヨハネ12:32-33)

クリスチャンが歌う賛美歌や歌には、霊的な意味を成さないものがあります。例えば、「イエスをもっと高くあげよう」とか「主を高く上げよう(We lift him up!)」と歌う時、自分たちは主を賛美していると思っている人がいます。「でもクリス牧師、それのどこが悪いのですか?なぜ私たちは主をあげられてはいけないのですか」と言うかもしれません。

第一に、主はすでに天の領域で最も高く、最も高貴な場所におられるのです。では、あなたはどこまで引き上げたいのでしょうか。第二に、もしあなたの「主を高く上げよう」とか「主をもっと高くあげよう」というインスピレーションが、ヨハネの福音書12章28-33節で、主が語られたことから来ているのなら、あなたは文脈を完全に誤解しているのです。

この箇所で、主は、世の裁きとこの世の支配者たちの追い出しについて語られたのです。そして32節で、主はこう言われました。「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」その次の33節は、主がそのように言われた意味を的確にとらえています。「イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。」

イエスが「上げられる」と言われたのは、十字架につけられることを言われたのであって、高められることを言われたのではありません。従って、このような賛美歌を歌うことは、イエスが再び十字架につけられることをうっかり暗示してしまうかもしれません。それは信仰の本質に反するものです。

たとえ歌詞が、人々をイエスに引き寄せるためにイエスを高揚させることを示唆しているとしても、そのような解釈はイエスの発言の文脈を見落とすことになるのです。神の言葉をより深く理解するためには、自分で聖書を学び、知ることが不可欠です。同じ箇所を詳細訳(Amplified Classic)で読むと、「『そして、私が地から[十字架に]上げられるならば、[上げられる時]私はすべての人を[ユダヤ人はもちろん、異邦人も]私のところに引き寄せよう[引き付けよう]』彼はご自身がどのような死に方をするかを示すために、この事を言われた。」(ヨハネ12:32-33 AMPC)となります。

2テモテ2章15節にこうあります。「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに解き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、務め励みなさい。」御言葉を学ぶことは、礼拝で歌うべき正しい歌を知る助けとなり、主が要求されるように、霊とまことをもって主を賛美することができるようになるのです。

多くの人が正しい知識がなければ、聖書の真のメッセージを誤解し、無知なまま歩むことになります。ですから、聖書を学ぶことによって、神の知識を熱心に求め、追い求めましょう。

祈り
愛する父よ、主の御言葉から受ける洞察と理解を感謝します。私の霊に光を注いでくださり、御言葉の真理を知り、実行し、御言葉を私の人生と状況について正しく適用することを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ12:28-33)父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ。」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。

(2テモテ2:15)あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに解き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、務め励みなさい。

(ヨハネ5:39)あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。