6月3日(土)
イエスの死を証する
Testify Of His Death

「…ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」(1コリント11:23-26)

福音書、マタイ26章26-28節、マルコ14章22-24節、ルカ22章19-20節は、イエスが裏切られたその夜の言葉を私たちに伝えています。ルカ22章19-20節は言っています、「それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」食事の後、杯も同じようにして言われた。この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」

使徒パウロは、聖霊によって、第一コリント11章23-26節で、このことを繰り返し述べています。その一部を今日の御言葉で読んだところです。下線部の 「告げ知らせる」という言葉に注目してください。これは、ギリシャ語の カタゲロ「kataggellō 」で、「宣言する、告白する、知らせる」という意味です。聖餐式を受けるたびに、主の死を告げ知らせ、宣言するのです。その恵みは何でしょうか?

まず、イエスが私たちのために流してくださった血の意味を理解しましょう。私たちは、今後もとこしえにイエスの血を語ることになるでしょう。イエスの血は、あなたの罪をきよめ、洗い、何か問題が起きたときにも、私たちのために語ってくれるでしょう。私たちが「イエスの血」について語るとき、それは実際に主の死のことを指しているのです。

第一ヨハネ2章2節には、「この方こそ、私たちの罪のための—私たちの罪だけでなく、世全体のための—なだめの供え物です。」とあります。イエス・キリストの血はあなたをきよめ、私たちを神と和解させ、それによって私たちは命を得ることができるのです。何故なら、私たちが命を得ることができるために、イエスご自身の命を与えられたからです。

イエス・キリストは新しい遺言、つまり、イエスの血による新約聖書を作られたのです。そして、遺言は遺言者が死ぬまで効力を持ちません。ですから、私たちがイエスの死を宣言するのは、神がイエスを死からよみがえらせたことを知っているからです。イエスは私たちに新しい命を与えるために死んだのです。イエス・キリストの死は、神の子であり、アブラハムの子孫として来られたイエス・キリストの約束と御言葉の成就なのです。

祈り
愛する父よ、私のために流されたイエス・キリストの血は、私をきよめ、洗い、すべての不義を取り除くものであることを、私は永遠に感謝します!私のためにキリストが身代わりに死んでくださり、その復活によって、私は今、神の仲間になりました。終わりのない勝利の神聖な命に導かれたことを感謝します、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(マタイ26:26-28)また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

(第一コリント10:16)私たちが祝福する杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。