1月26日(木)
イエスの復活によって救われる
Saved By His Resurrection
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2:8)
ローマ10章9節には「…もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」と書かれています。この箇所は、イエス・キリストの復活が、キリスト教の由来であることを教えています。
クリスチャンになるには、復活を信じなければなりません。もし復活を信じなければ、キリストの死も信じることができません。なぜなら、死は復活の前に起こらなければならなかったからです。実際に、ローマ10章9節の最も素晴らしい表現は「もしあなたが、神が死者の中から主イエスをよみがえらせたことを口で告白し、心の中で信じるなら、あなたは救われるでしょう」です。
しかしあなたは「クリス牧師、でも、聖書は最初に告白して、次に信じると書いてあるじゃないですか」と言うかもしれません。いいえ、告白する前にまず信じるのです。それが原則です。次の節で明確に説明されています。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:10)。 ハレルヤ!
心で信じたとき、あなたは神の御前で義と認められるのです。私たちは、イエス・キリストを信じ、義と認められ、イエスが主であると告白することで救われるのです。これが単純な原理です。
第二コリント4章13節に「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです」とあります。ここでもあなたが信じて、そして語るということが示されています。今まで生まれてきた老若男女(ろうにゃくなんにょ)、そしてこれから生まれてくるすべての人でさえ、すでにイエス・キリストによって合法的に「救われた」のです。イエスは全人類の救いのために死なれたのです。しかし、その救いは、イエスの死だけでなく、私たちを義とされるために死者からよみがえられたことを信じる者だけが、人生の中に実際的な経験を味合うのです。神をほめたたえます!
祈り
私たちはやがて来る主の再臨を待ち望みながら、雲から降る雨のように絶え間なく義を降り注ぐように祈ります。主の御言葉どおり、大地が開かれ、救いが実を結び、義が芽生えるように、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(イザヤ45:8)天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した。
(第一コリント15:12-19)ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。13 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。14 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。 15 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。16 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
(ヨハネ11:25)イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。