2025年4月20日(日)
イエスの御名を敬虔に用いる
Reverent Use Of His Name
「実行するつもりもないのに、むやみにわたしの名を使って誓ってはならない。そのようなことをしたら必ず罰せられる。」(出エジプト記20:7JLB)
旧約聖書で、ユダヤ人は主の御名をみだりに唱えないように指示されていました。例えば、出エジプト記20:7には、「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。」とあります。ユダヤ人は神の御名の偉大さを理解していたので、神の御名を口にすることを避けていました。その代わりに、神の御名の発音を「アドナイ」で代用しました。
聖書を書き写す律法学者は、神の名に出会うと、一時停止し、行って体を洗ってから、その名を書き写したのです。その御名が何度も出てくる場合は、その都度この作業を繰り返しました。このような畏敬の念を抱くのは、神の偉大さと威厳、そして先祖たちの間で神が成された畏敬の念を抱かせる御業を意識したことです。
これと対照的なのが、今日、多くのクリスチャンが神の御名を気軽に使っていることです。人々はケーキを切り分けるときにもイエスの御名を叫んだり、日常会話で感嘆詞として使ったりしますが、その力も意味も理解していないのです。イエスの御名に対するこのような気軽な態度は、より深い問題を明らかにしています。つまり、イエスが真にどんな方であるかの知識が欠如ということです。
イエスは井戸でサマリヤの女に出会ったとき、次のように言われました。「救いはユダヤ人から出るものですから、あなたがたは知らないで礼拝しています。」(ヨハネ4:22)サマリア人は偶像礼拝の歴史を持つ混血であり、礼拝と敬虔さについて正しく理解していなかったのです。
悲しいことに、このような理解不足は今日も続いています。あなたは、イエスが主である実際なことを理解し、その中に生きなければならないのです。イエスは単に偉大な方ではなく、偉大さそのものであるお方です。あなたがイエスを礼拝するとき、この理解を持ってください。イエスを正しく敬ってください。
イエスが復活された後、主を単に「イエス」と直接呼ぶ者はいませんでした。主、または主イエスと呼ばれました。主イエスと呼ばれるようになったのは、復活によって主が最高の権威を持つようになったからです。主について語るとき、私たちは「イエス」と言うかもしれないが、イエスに語りかけるとき、私たちは「主」として敬わなければならないのです。「…神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」(1テモテ6:15-16)
祈り
愛する主イエスよ、私は主の聖なる御名を尊び敬います。なぜなら、主は紛れもない支配者であり、王の王、主の主であり、不滅で、近づくことのできない光の中に生きておられるからです。主を知り、御言葉の光の中を歩む特権を感謝します。主の御名はすべてのものの上に尊ばれ、私は主をすべてのものの主人として認めます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ピリピ2:9-11)それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
(使徒2:36)ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
(コロサイ1:15-18)御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。