2024年11月5日(火)
イエスの御名の権威
The Authority Of His Name

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かを求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14:13-14)

主イエスは、「わたしに求めることは何でも、それをしましょう。」と言われたのではないことに注意してください。むしろ、主は「わたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。」と言われました。ここには決定的な違いがあります。あなたは、イエスの名によって、イエスに何かを願い求めることはできません。

多くの場合、人々は自分の言葉を考えずに祈ります。多くの人は主イエスに祈り、「イエスの名によって」で祈りを終えます。これは正しくありません。理解の足りない祈りです。イエスが教えられたことを理解せずに、宗教的な考え方で祈るからです。

イエスが「わたしの名によって求めることは何でも」と言われたのは、あなたがイエスの名によって何かを要求したり宣言したりすれば、いつでもイエスはそれを実現してくださるという意味です。それは、イエスの御名が象徴する権威を行使することなのです。使徒の働き3章で、ペテロとヨハネが、生まれつき足の不自由な物乞いに出会ったときに、このことを実際に示しています。3章6節で、ペテロがその人に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言いました。

ペテロはイエスに祈ったのではありません。イエスの御名の権威によって、その人に語ったのです。ペテロは、その人の右手を取って持ち上げ、たちまちその人の足と足首の骨に力が入ったのです。彼は飛び上がり、立ち上がり、歩き始め、跳びはね、神を賛美しました。ハレルヤ!その後、ペテロはそれについて説明し、人々に言いました。「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(使徒3:16)ペテロとヨハネは、イエスがヨハネの福音書14章13節から14節で教えられたことを、まさに実証したのです。彼らはイエスの御名の権威を用いて、奇跡、しるし、不思議を行ったのです。  

あなたがイエスの御名によって語るとき、天は応答し、奇跡が起こるのです。イエスの御名には、イエス御自身と同じ力と権威があるのです。だから、あなたがイエスの御名を使うとき、あなたは主の臨在を呼び起こし、あなたが対処している状況に主の栄光を向けるのです。このことについては、次回の学びで詳しく学びましょう。

祈り
愛する父よ、イエスの御名を用いて変化をもたらすことができる委任権を感謝します。父なる神の御心を地上に、そして人々の人生に確立するために、私はその権威を行使します。今日、至る所の人々が神の慈しみを経験するように祈ります。全地が父のいつくしみで満たされているからです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(使徒3:12-16)ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。

(ピリピ2:9-11)それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

(マルコ16:17-18)信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」